出張で福井市に2週間滞在。
以前来た時に訪問できなかった史跡を、
余った時間で巡ってみました。
由利公正宅碑(記事はこちら)の川向いに、
横井小楠が寄留した跡地があります。
「横井小楠先生寄留宅跡」。
熊本藩士であった横井小楠は、
才知ありながら熊本藩では用いられず、
私塾小楠堂を開いて門弟を育てていました。… 続きを読む
福井県福井市 横井小楠寄留宅跡ほか
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曹洞宗の宗祖道元は比叡山延暦寺に入門。
本覚思想に疑問を持って比叡山を去り、
臨済宗の建仁寺に入門します。
しかし建仁寺でも道元の疑問は解けず、
師の明全らと共に宗へ渡って天童寺に入門。… 続きを読む
福井藩5代及び7代藩主松平昌親(吉品)は、
支藩吉井藩の藩主でしたが、
兄で4代藩主の松平光通が継嗣なく自刃し、
その遺言によって福井藩主となっています。
しかしながらこの藩主就任は、
幕府裁定によって遺言が重視されたもので、
昌親や光通の兄松平昌勝を推す派閥や、
光通の庶子松平直堅を推す派閥には、… 続きを読む
福井藩越前松平家の菩提寺である大安寺は、
田谷寺という大寺院の跡に創建され、
殆どの建物を創建当時のまま残しています。
田谷寺は48の坊舎を持つ大寺院でしたが、
織田信長の越前侵攻で全て焼失してしまい、
その後80余年放置されていたという。
この跡地に4代松平光通が大安寺を創建し、
越前松平家の永代菩提所としています。
開山の大愚禅師は… 続きを読む
若狭国守護武田元光の築いた後瀬山城。
その山麓に水堀を配した守護館が建てられ、
長らく若狭国の本拠地となっていました。
その後に京極高次が若狭国主に任じられ、
小浜城が築城された事により役目を終え、
次代京極忠高がその跡地に泰雲寺を建立。… 続きを読む