伝馬町獄舎は罪を犯した囚人達を、
集めて収容した施設で、
2618坪の敷地の周囲に掘が巡らされ、
その内を煉塀で囲んでいたという。
牢獄は東牢と西牢に分かれており、
東牢の大牢と二間牢… 続きを読む
東京都中央区 伝馬町獄舎跡
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伝馬町獄舎は罪を犯した囚人達を、
集めて収容した施設で、
2618坪の敷地の周囲に掘が巡らされ、
その内を煉塀で囲んでいたという。
牢獄は東牢と西牢に分かれており、
東牢の大牢と二間牢… 続きを読む
玄武館は千葉周作が開いた剣術道場で、
幕末期の江戸三大道場の一つとされました。
千葉周作は幼少期より北辰夢想流を学び、
後に小野派一刀流中西派の浅利義信に入門。
義信の婿となって浅利又一良と名乗りますが、
組太刀の改変で義信と意見が合わず、
独立して… 続きを読む
湯島聖堂は文京区湯島にある孔子廟。
元禄3年(1690)に5代将軍徳川綱吉が、
忍岡聖堂に代わる施設として建立したもの。
当時の儒学振興が幕府の政策であった為、
当時あった忍岡聖堂の創建過程が、
その中心施設に相応しくないという理由から、
新しく建立されたものでした。
※忍岡聖堂は林羅山が尾張藩の資金を得て、
私的に建築したもの。
「… 続きを読む
寛永7年(1630)に3代将軍徳川家光は、
上野忍岡5000坪の土地を林羅山に与え、
書院と聖廟を建てさせていますが、
これを羅山が家塾としています。
元禄3年(1663)には5代将軍徳川綱吉は、
神田湯島… 続きを読む
麟祥院にある嵯峨実愛の墓所。
幕末期には正親町三条実愛と称し、
薩摩藩に近い立場の公卿でした。
「従一位勲一等嵯峨實愛墓(中央)」、
「正二位訓二等侯爵嵯峨公勝之墓(右)」、
「嵯峨三郎麿之墓(左)」。
正親町三条家… 続きを読む
麟祥院にある遠藤謹助の墓。
遠藤謹助は長州ファイブのひとりです。
「松雲院殿傭庸山志信大居士」。
造幣の父遠藤謹助の墓。
長州藩大組遠藤彦右衛門の次男で、
幼少期については不明ですが、
文久3年に井上聞多、山尾庸三… 続きを読む
麟祥院にある菰野藩土方家の墓所。
菰野藩土方家の江戸菩提寺だったようです。
「通霄院殿従五位下玄峯孤順大居士」。
3代藩主土方雄豊の墓。
初代土方雄氏の次男土方氏久の三男で、
2代土方雄高の娘を娶って継嗣となり、
義父雄高の死去に伴い家督を相続。… 続きを読む