鯖街道は小浜と京都を結ぶ街道の総称で、
特定の街道ではなく数本の街道を表しますが、
どの道も小浜を起点とし京都を終点とします。
小浜より運ばれる物資の多くが、
鯖の加工品であった為に鯖街道と呼ばれ、
中でも小浜から熊川、朽木を通り、
大原、八瀬を抜けて… 続きを読む
京都府京都市 鯖街道終点
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鯖街道は小浜と京都を結ぶ街道の総称で、
特定の街道ではなく数本の街道を表しますが、
どの道も小浜を起点とし京都を終点とします。
小浜より運ばれる物資の多くが、
鯖の加工品であった為に鯖街道と呼ばれ、
中でも小浜から熊川、朽木を通り、
大原、八瀬を抜けて… 続きを読む
廬山寺には慶光天皇の廬山寺陵の他にも、
鎔宮墓(仁孝帝皇子)と、
壽萬宮墓(孝明帝皇女)が宮内庁管轄地ですが、
その他にも多くの皇族の墓があります。
「廬山寺墓地」。
墓地の北側には江戸期の皇族の墓が並び、
他にも… 続きを読む
廬山寺は皇室の崇敬を受けており、
多くの皇族が墓所としています。
特に閑院宮典仁親王は即位していませんが、
119代光格天皇の実父であり、
122代明治天皇の高祖父であることから、
後に太政天皇の尊号が贈られて、
慶光天皇と追諡されました。
「廬山寺陵… 続きを読む
廬山寺は天台圓淨宗の本山寺院。
正式な寺号は廬山天台講寺と称し、
天慶元年(938)に創建された與願金剛院と、
寛元3年(1245)に貢献された廬山寺が、
両寺の住持を兼務した明導照源により、
応安元年(1368)に合併されて、
新たに廬山天台講寺となります。
円密浄戒の… 続きを読む
清浄華院にある玉松操の墓所。
玉松は王政復古の詔勅を起草し、
錦旗の意匠を考案した事で知られます。
「贈従三位藤原朝臣真弘卿之墓」。
国学者玉松操の墓。
玉松は公卿山本公弘の二男として生まれ、
醍醐寺無量寿院で出家。
猶海を名乗り… 続きを読む
清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
清浄華院は浄土宗の大本山寺院。
貞観2年(860)に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願で宮中に建立したとされ、
当初は円密浄戒の四宗兼学だったという。
後に浄土宗の開祖法然上人… 続きを読む