安政3年6月14日。
明け方に①… 続きを読む
「白石正一郎まとめ」カテゴリーアーカイブ
白石正一郎のお伊勢参り①(下関から宮島へ)
高杉晋作の葬儀
高杉晋作の神式の葬儀は、
白石正一郎と奇兵隊幹部が話し合い、
白石が取り仕切りました。
下記は白石の作った谷東行主神葬略式。
丁卯四月十六日 谷東行主神葬略式
一 忌の事
親の喪夫の喪は、妻子たる者ハ其日より
酒肉をたち慎むべし葬の時葬地にゆく道
中徒跣の事、寒中たりとも足袋を用ぶべ
からず… 続きを読む
光明寺党の最初の宿泊地はどこ??
白石正一郎日記には文久3年4月27日昼。
久坂玄瑞ら30人余の志士がやって来て、
竹崎の長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
その後に細江の光明寺へ転陣しました。
この連中が光明寺党です。… 続きを読む
幕末下関のフグ事情
下関市といえばフグですね。
とはいえ下関に住んでいますが、
毎日フグを食べてるわけではありません。
いくら本場といっても高級魚ですので、
そう簡単には食べれません。
とはいえ子フグのから揚げなどは、
スーパーで安く買えたりします。
「下関市内のマンホール」。
このフグというお魚ですが、
猛毒を持っている事が知られており、… 続きを読む
下関市長府 白石正一郎邸浜門
ブリジストン下関工場入口にある交差点の、
北西側(ブリジストンと反対側)の細道を入り、
少し歩いて左折した細道に、
元白石正一郎邸の浜門があります。
長府の観光地とはかなり離れていて、
わざわざこれを見に行く人は、
なかなか居ないんじゃないでしょうか?
「白石正一郎邸浜門」。
この門は小倉屋の海側の門だったもので、
現中国電力下関営業所の辺りにありました。
現在は個人宅の一部のようで、… 続きを読む
下関市竹崎町 白石正一郎旧宅跡
竹崎の商人白石正一郎の小倉屋は、
酒、たばこ、米、お茶の卸や、
質屋、造酒屋も経営した豪商とされています。
しかし実際は長州藩の商いは無く、
孫藩の清末藩の御用商人だったようで、
豪商というほどでもありませんでした。
最も儲かる北前船交易には参加する事が出来ず、… 続きを読む