参勤交代や領内巡視の休泊や、
迎賓の場として使用された御茶屋。
長州藩領各地に建設されていましたが、
現在は三田尻のもののみが現存しており、
修復保存されて一般公開されています。
「英雲莊(三田尻御茶屋跡)」。
昭和14年に防府市に寄付されますが、… 続きを読む
山口県防府市 三田尻御茶屋跡
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参勤交代や領内巡視の休泊や、
迎賓の場として使用された御茶屋。
長州藩領各地に建設されていましたが、
現在は三田尻のもののみが現存しており、
修復保存されて一般公開されています。
「英雲莊(三田尻御茶屋跡)」。
昭和14年に防府市に寄付されますが、… 続きを読む
室津の本陣は肥後屋が務めていたようで、
三条実美ら五卿が宿泊したとされています。
「肥後屋跡」。
上関中央公民館の建物がある辺りが、
肥後屋があった場所。
海路で参勤交代を行った西国大名… 続きを読む
文久3年8月18日、
八月十八日の政変が発生。
大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、
長州藩を堺町門の警備の任から解き、
京都からの退去が勧告されます。
失脚した公家15人のうち、
三条実美ら七人の公卿(七卿)は、
※七卿は三条実美の他に、… 続きを読む
文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎、森源蔵、高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐や伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡… 続きを読む
芥川宿は西国街道の2番目の宿場町。
芥川は元々摂津国人芥川氏の本拠で、
城館が置かれていたという。
高槻市芥川周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが芥川宿跡。
JR高槻駅前の商店街を抜けた所にあります。
「芥川仇討ちの辻」。
商店街の端にある寿司八百鶴にある説明板。
加藤家会津藩… 続きを読む