明治2年の版籍奉還により、
勝山城の土地建物は国有化された為、
知藩事三浦顕次は旭川上流の台地に、
居館を建設して移り住みました。
「椎ノ木御殿」。
門前に椎の巨木があった為に、
椎ノ木御殿と通称されています。
その椎の木は現存してたようですが、… 続きを読む
岡山県真庭市 椎ノ木御殿
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明治2年の版籍奉還により、
勝山城の土地建物は国有化された為、
知藩事三浦顕次は旭川上流の台地に、
居館を建設して移り住みました。
「椎ノ木御殿」。
門前に椎の巨木があった為に、
椎ノ木御殿と通称されています。
その椎の木は現存してたようですが、… 続きを読む
美作勝山藩の藩主家である三浦家は、
鎌倉御家人三浦義村の四男三浦家村の末裔。
藩祖三浦正次は3代将軍徳川家光に仕え、
下総国内780石を与えられた後、
御小姓組頭、御書院番組頭と出世を重ね、
寛永7年(1630)に1万石に達して諸侯に列し、
矢作藩… 続きを読む
美作高田城は真庭市勝山にあった山城で、
美作国高田荘の領主三浦氏が築城し、
その本拠としていました。
戦国時代初期に尼子家が勢力を伸ばし、
一旦は城を奪われるも奪還していますが、
永禄7年(1565)に毛利家麾下の三村家親が、
高田城を攻めて当主三浦貞勝… 続きを読む
三浦長門守家は紀州藩御附家老のひとつ。
初代藩主徳川頼宣の実母於万の方が、
三浦家の出身であった為に、
藩主外戚として重きを成しています。
三浦長門守家初代当主三浦為春は、
初代藩主徳川頼宣の傅役となり、… 続きを読む
了法寺は三浦長門守初代当主三浦為春が、
所領の上野山村に建立した寺院。
後に坂田にあった浄土寺跡に移転し、
日蓮宗から天台宗に変わったようです。
三浦長門守家は紀州藩の御附家老で、
初代藩主徳川頼宣の実母… 続きを読む
長英寺の由緒は明確ではありませんが、
初めは御所寺と称していたという。
小浜藩初代酒井忠勝が死去した後、
家老三浦帯刀好正により、
忠勝の法名から長栄寺と改められて、
その供養塔が建てられました。
「参道」。
苔が非常に美しい参道。
石段が隠れるほど苔生しています。… 続きを読む