天領」タグアーカイブ

長崎県長崎市 長崎湊

長崎湊は元亀2年(1571)に開港され、
ポルトガル船との交易が行われました。
キリシタン大名であった大村純忠が、
イエズス会に長崎湊を彼らに寄進した為、
長崎はイエズス会領となり、
寒村に過ぎなかった長崎は要塞化
各地で迫害されたキリシタンが集まり、
他教の寺院を破壊する等した為に、… 続きを読む

長崎県長崎市 出島(再訪)②

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つづき。


乙名部屋」。
カピタン部屋の裏手にある乙名部屋
日本側の貿易事務や管理を担当する乙名が、
業務の拠点としていた建物。
乙名は出島町人らから選出されていました。


料理部屋」。… 続きを読む

長崎県長崎市 出島(再訪)①

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出島に10年ぶりに行ってみました。
何度も長崎には足を運んでおり、
脇の道を車や路面電車で通っていましたが、
その度に復元作業が進んでいましたので、
今回は機会を作って再訪してみました。


「出島」。
第二次世界大戦終結後にオランダは、
出島の復元続きを読む

大分県大分市 高松代官所跡

明暦2年(1656)。
大給松平家の支藩する豊後高松藩は、
隣の府中藩に転封となり、
旧領高松は幕府直轄地に代わりました。
豊後高松藩の陣屋は代官所へと変わり、
九州天領を支配する代官が赴任して来て、
同じく天領の日田代官所と交代で在勤。
後に代官は… 続きを読む

三重県亀山市 坂下宿跡

坂下宿東海道の48番目の宿場町。
難所である鈴鹿峠の東側にありました。
江戸時代初期は1.3km西側にありましたが、
慶安3年(1650)に土石流で壊滅した為、
幕府の援助を受けて現在地に移転。
以後は東海道有数の宿場町となり、
大変な賑わいを魅せた宿場だったようです。


歌川広重 東海道五十三次 阪之下続きを読む

大分県別府市 別府温泉

別府温泉は別府市内の温泉の総称ですが、
狭義には海岸沿いの温泉街を指し、
北浜温泉とも呼ばれました。
日向街道沿いにあった為に宿場となり、
湯治客も多かったようです。


別府市街周辺。緑の線が日向街道で、
青い線は安心院道
青くぼかした辺りが別府宿跡。

南側から散策。
宿場の南端はわかりませんが、
今回は秋葉通りより北上してみます。

別府秋葉神社続きを読む

大分県別府市 鉄輪温泉

鉄輪温泉別府八湯の一つ。
日本最大の湧出量を誇る別府の中で、
その源泉の大半が鉄輪に集中しています。
建治2年(1276)に一遍上人が行脚の途上、
鉄輪を訪れた際に猛り狂う地獄地帯を鎮め、
湯治場を開いたのが始まり。


いでゆ坂」。
長く続く石畳の鉄輪のメインストリート。
湯治場の面影を色濃く残しています。


鉄輪むし湯続きを読む