維新を生き抜いた志士達は政府に出仕し、
殆どが東京に在住していた為、
その墓所は東京という例が多い。
長州藩出身者は地元に墓が無い場合が多く、
木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、
野村靖、品川弥二郎、桂太郎、山尾庸三、… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
「長州藩部落民伝説」西田秀秋
穢多という身分は本当はどうだったのか?
僕は実際によくわかっていません。
穢多は職業的にいえば、
牛馬の皮を剥いでなめす職で、
牛馬の皮は武具や馬具の主材料でした。
①穢多が毛嫌いされたのは、
死骸という[穢れ]ものを扱うから。
自然現象は神仏が起こすと考えた昔の人は、
そういう[穢れ]が神仏を怒らせると忌み嫌う。
②しかしながら牛馬の皮は武具となり、
権力者にとっては必要不可欠なモノ。
穢多が居なくなっては困るので、… 続きを読む
山口県防府市 桑山招魂場
佐波川の河口の開けた平地からなる防府市。
その中心部にぽつんとある独立丘陵が桑山。
別名を[三つ山][桑ノ山]、
雅名を[九華山]といいます。
元治元年8月、太田市之進、山田顕義、
品川弥二郎らが… 続きを読む
力士隊について
功山寺挙兵に呼応した諸隊といえば、
石川小五郎の遊撃隊と伊藤俊輔の力士隊。
このうち力士隊というのは、
諸隊が相次いで発足した文久3年に、
長州相撲の力士達によって結成された隊です。
諸大名は実力ある力士達を抱えており、
藩の力を誇示していたとされ、
今でいうスポンサーのようになっていました。
※有名な… 続きを読む
下関市吉田 常関寺/小倉戦争時の野戦病院
奇兵隊の本拠地となった吉田の寺院は、
奇兵隊屯所として利用されていましたが、
今回の常関寺は野戦病院となっています。
「常関寺 山門」。
山の中腹にあり参道も急です。
重傷者が運び込まれたそうですが、
運び込むのも結構大変そうですね。
「常関寺 本堂」。
この本堂が病院施設となっていたそうで、… 続きを読む
岡山県倉敷市 倉敷代官所陣屋跡
倉敷に出張に行ってきました。
思ったより早く仕事が終わったので、
倉敷美観地区に行ってみます。
倉敷は幕府直轄地(天領)だったようで、
物流の拠点として大いに栄えていました。
現在は市の美観地区景観条例に基づいて、
当時の街並みが状態良く保存され、
天領時代の町並みを残しています。
「倉敷川畔」の街並み。
平日にもかかわらず観光客が沢山。
学生達はすでに休みだからでしょうね。
意外な事(?)に女子旅を多く見かけました。
幕末の慶応2年4月10日。
第二奇兵隊… 続きを読む
山口県山口市 朝日山招魂社
朝日山招魂社は山口市秋穂にある招魂社で、
慶応元年に八幡隊によって創設されました。
ここは山口県内に数ある招魂場の中でも、
特にビッグネームの墓碑があります。
久坂玄瑞や入江九一、
吉田稔麿、寺島忠三郎などなど。
基本的にそれぞれの招魂場は、… 続きを読む