初詣で赤間神宮へ。
赤間神宮単体の記事が無かったので、
今回記事にしてみました。
赤間神宮は阿弥陀寺が前身とされますが、
阿弥陀寺の創建には諸説があり、
壇之浦の戦いの翌年とも、
その6年後ともされています。
とにかく安徳天皇の御堂が建立され、
安徳天皇の母建礼門院の乳母の娘が、
尼となり開山したとされており、… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 赤間神宮
コメントを残す
初詣で赤間神宮へ。
赤間神宮単体の記事が無かったので、
今回記事にしてみました。
赤間神宮は阿弥陀寺が前身とされますが、
阿弥陀寺の創建には諸説があり、
壇之浦の戦いの翌年とも、
その6年後ともされています。
とにかく安徳天皇の御堂が建立され、
安徳天皇の母建礼門院の乳母の娘が、
尼となり開山したとされており、… 続きを読む
[げっしょう]の名を持つ勤皇僧が、
幕末期に二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊攘派の僧月照。
もう一人が海防僧と呼ばれた月性でした。
月性は妙円寺… 続きを読む
山口県内には多くの招魂社がありますが、
その創設は諸隊だったり領主だったりと、
それぞれが独自で創建されています。
これらの事実を知らぬ左翼的な人々は、
後の靖国神社に繋がる招魂社(護国神社)を、
政府主導の政策であるという。… 続きを読む
大道‐秋保間の県道25号線の側道に、
大楽源太郎の墓所への入り口があります。
「大楽源太郎先生墓所入口」。
これ行けるの?というような入口。
奥もけもの道のようになっていますが、
迷わずにたどり着けます。
少し行くと3つの墓石が現れました。
そのひとつが大楽源太郎の墓です。… 続きを読む
大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながら雨が降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む
下関市吉田には高杉晋作墓所の東行庵があり、
また奇兵隊陣屋跡もあります。
奇兵隊は結成以来各地に転陣していますが、
内訌戦で奇兵隊ら諸隊が勝利した後、
吉田に本陣を移すことになりました。
これには影響力を強める奇兵隊の発言力を、
中央から遠ざける為であったとされます。… 続きを読む
高杉晋作の好物といえば[鯛]。
妻の雅や愛人のうのが、
鯛のあら煮、長州鮨、鯛の刺身や塩煮等、
鯛に関するものを挙げていますので、
相当鯛が好きだったと想像できます。
日記や手紙など多く残されている晋作ですが、… 続きを読む