譜代大名」タグアーカイブ

埼玉県川越市 川越城跡

川越城は長禄元年(1457)に築城され、
扇谷上杉氏の本拠となっていた城。
太田道真太田道灌父子の築城とされ、
道灌がかり」という連郭式の縄張りで、
幾度も敵の進攻を防いでいます。
天文6年(1537)に北条氏綱が攻め落とし、
以後は後北条家の武蔵国支配の拠点となり、… 続きを読む

高野山奥の院墓地/水野勝成墓所

奥の院墓地にある水野勝成の墓所。
勝成は結城藩水野宗家の初代当主で、
徳川家康の従弟でありながら諸大名に仕え、
主を変えて放浪を繰り返した人物です、


備後福山水野家墓所」。
相変わらず逆光で如何ともし難い。
2本の巨木の間が参道となっています。


徳勝院殿前四品日州太守参康宗休(右)」、… 続きを読む

高野山奥の院墓地/壬生藩鳥居家墓所

奥の院墓地にある壬生藩鳥居家の墓所。
鳥居元忠今川人質時代から徳川家康に仕え、
家康が最も信頼する家臣のひとり。
関ケ原の前哨戦伏見城の戦いにおいて、
寡兵で籠城戦を戦って13日間耐え続けますが、
遂には討ち取られてしまいます。
玉砕を覚悟して主家を勝利に導いた行為は、
後世に「三河武士の鑑続きを読む

高野山奥の院墓地/鳥羽藩稲垣墓所

奥の院墓地にある鳥羽藩稲垣家の墓所。
稲垣家は牧野家に仕えた三河の土豪で、
主家と共に松平家に恭順しています。
初代当主稲垣長茂徳川家康に仕え、
後に加増されて大名に昇進。… 続きを読む

高野山奥の院墓地/本多忠勝墓所

奥の院墓地にある本多忠勝の墓所。
忠勝は「徳川四天王」のひとりであり、
13歳の初陣から死去するまでの約50年間で、
57回の戦でかすり傷ひとつ受けたことがなく、
名槍「蜻蛉切」を自在に振り回して戦い、
豊臣秀吉に「東国無双」と称されました。


西岸寺殿前中書長譽良信居士続きを読む

高野山奥の院墓地/庄内藩酒井家墓所

奥の院墓地にある庄内藩酒井家の墓所。
庄内藩の藩主家は酒井左衛門尉宗家で、
徳川四天王の筆頭酒井忠次を祖とします。
元和8年(1622)より庄内藩に入封して以降、
江戸時代を通じて庄内平野を領しました。

ここには6代当主の墓が確認できます。

梅林院殿圓誉宗慶大居士(右)」、… 続きを読む