崇福寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
寛永6年(1629)に福建省福州の華僑らが、
唐僧超然を招聘して開山しています。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に… 続きを読む
長崎県長崎市 崇福寺
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崇福寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
寛永6年(1629)に福建省福州の華僑らが、
唐僧超然を招聘して開山しています。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に… 続きを読む
興福寺境内に移築された長崎聖堂の建物。
長崎聖堂は本草学者の向井元升が、
正保4年(1647)に創建した学舎と孔子廟で、
始め立山書院と称したこの学舎では、
元升自らが儒学を講じていたという。
その後に元升が京都… 続きを読む
興福寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
寛永元年(1624)に唐僧真円が創建しており、
日本最初の唐寺とされています。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。… 続きを読む
大音寺は寺町通りにある浄土宗の大寺院。
皓台寺、本蓮寺と共に長崎三大寺とされます。
「大音寺」。
本堂は原爆の被害にも耐えていましたが、
戦後の放火によって焼失しており、
現在の建物はその後に再建されたもの。… 続きを読む
寺町通りの西側の風頭山山麓墓地群は、
急な斜面に所せましと墓が広がっています。
そこには多くの歴史上の人物の墓があって、
これを探すとなると大変。
狙いを定めて何度も行くしかありません。
晧臺寺墓地も境内の後ろ側に広がっており、
前回の楠本家墓所の弊振坂沿いは序の口。
奥の墓へ行くのはなかなか骨が折れます。
坂本龍馬の長崎での支援者小曽根家墓所は、… 続きを読む
晧臺寺は寺町通りにある曹洞宗のお寺で、
長崎三大寺に指定される大寺院。
「皓臺寺」。
訪問時は開創400年記念事業として、
諸堂の再建工事が行われており、
残念ながら見学エリアは限られていました。
長崎最古という仁王門… 続きを読む