奇兵隊」タグアーカイブ

福岡県北九州市 田野浦

田野浦は古くからの港町。
関門海峡潮待ちの港として、
北前船の寄港が増加するようになると、
門司をも陵駕する繁栄を魅せたという。


門司区田野浦周辺。
埋め立てで海岸線は変わっており、
往時の集落は陸封されています。


田野浦港」。
かつての浦は田野浦埠頭で覆われて、
河口のような船溜まりとなっています。… 続きを読む

下関市赤間町 本行寺

本行寺は赤間町にある法華宗の寺院。
大本山本能寺12世日承上人が、
天文21年(1552)に種子島へ巡錫した帰途、
赤間関に立ち寄ったとされ、
これに随行していた日圓上人は、
日承上人の命で布教の為に留まり、
元亀2(1571)年に本行寺を創建しています。


本堂続きを読む

下関市赤間町 教法寺

教法寺は赤間町にある真宗本願寺派の寺院。
鎌倉期の元応年間(1319~1321)、
教法房浄信が海岸で木仏を見つけ、
これを安置する為に創建されました。

文久3年の下関攘夷戦では、
正規部隊である撰鋒隊が屯所としますが、
撰鋒隊は奇兵隊と対立するに至り、
同年8月16日に… 続きを読む

勅使を迎える奇兵隊士達

攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。

翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/脱走隊士の墓

奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。


波多野十吉墓(左)」、
山本龍之進墓(左2)」、
有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所続きを読む

下関市吉田 東行庵/奈良屋源兵衛の墓

奇兵隊顕彰墓地にある奈良屋源兵衛の墓碑。
白石正一郎に雇われて人夫をしていた者で、
奇兵隊の用人も務めていました。
教法寺事件の報を聞いて駆け付けた途中、
南部町撰鋒隊と鉢合わせてしまい、
奇兵隊印の半被をしていた為に捕らえて、
拉致され冷水を頭からかけられという。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石廉作の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石廉作の墓碑。
白石廉作は白石正一郎の弟(六男)で、
恒遠醒窓の漢学私塾蔵春園に学び、
文を能くし筆札に巧みであったという。
兄を手伝って薩摩藩等との貿易に奔走し、
その過程で尊攘志士らと親交したようで、
奇兵隊が設立されると兄と共に入隊します。
平野国臣とは何度も会っており、… 続きを読む