吉田松陰は嘉永3年に平戸に留学しています。
※記事はこちら。
50日余り滞在したようで、
平戸藩重臣葉山左内を頼り、
その蔵書を多数読破しました。
「吉田松陰宿泊紙屋跡」。
松陰の平戸での拠点は紙屋という旅宿。
宿を探しますがなかなか見つからず、
葉山の紹介でここに宿泊しています。
滞在中は葉山の蔵書を読む日々でした。
何故かアンパンマンの石像が・・・・。… 続きを読む
「学校・学問所・私塾」タグアーカイブ
大分県速見郡 日出城跡
豊臣秀吉の義兄木下家定の三男木下延俊は、
関ヶ原の戦いで終始東軍として活躍し、
その功績により3万石を与えられ、
日出城を築城して日出藩を立藩。
初代延俊の正室加賀の方は細川忠興の妹で、
この縁から熊本藩細川家… 続きを読む
佐賀県佐賀市 弘道館跡
佐賀藩(肥前藩)の藩校は弘道館。
弘道館という校名は佐賀藩の他、
多くの藩の藩校に命名されていますが、
「弘道」とは、
「人(徳)の道を弘むる」という意味で、
の素晴らしく良い名前なのでしょう。
天下三弘道館の水戸藩、出石藩他に、
谷田部藩… 続きを読む
下関市長府 功山寺/福田扇馬墓所
長府藩の藩校であった敬業館は、
15歳以上の藩士子弟しか学ぶ事は出来ず、
この状況に嘆いた福田扇馬は私塾を開設し、
身分年齢を問わず生徒を受け入れました。
この福田扇馬の墓が功山寺にあります。
「福田正則之墓」。
福田扇馬正則は藩医の子として生まれ、
幼少より才智に優れて敬業館に学びますが、
足の病で自力で起き上がれない体となり、
自宅に[桜柳亭]という私塾を開いて、
子弟の育英に勤めました。
福田は敬業館で学んでいる頃より、… 続きを読む
歌われない1番
長府藩の藩校敬業館を前身に持つ、
山口県立豊浦高等学校。
長府陣屋跡を校庭とする歴史ある高校です。
母校ではないので知らなかったのですが、
校歌に関して少しモメゴト(?)があります。
校歌は「海ゆかば」の信時潔作曲、
「ふるさと」の高野辰之作詞で、
この2人で… 続きを読む
福岡県京都郡 小笠原神社/豊津陣屋跡
城を自焼し香春に移った小倉藩でしたが、
藩庁が御茶屋では色々と不便ということで、
明治2年12月に豊津に移ります。
9代小笠原忠幹は慶応元年9月に死去。
国内が不穏な状況であった為、
忠幹の死は秘匿され続けましたが、
小倉戦争終結後の慶応3年になり、
ようやく幕府… 続きを読む
山口県萩市 育英館跡
須佐の郷校である育英館は、
益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。
益田家33当主益田親施は、
吉田松陰から山鹿流兵学を学んでおり、
その縁で松下村塾との交流があったようで、
双方で… 続きを読む