広島藩の支藩広島新田藩は、
他の新田藩と同様に決まった領地を持たず、
宗藩による蔵米支給によって運営され、
藩主は江戸に定府していました。
ところが幕末の文久3年。
広島藩は不穏な長州藩への牽制の為、
新田藩主浅野長厚の帰国を命じ、
幕府の許可を得て陣屋を建設させ、
安芸吉田藩… 続きを読む
広島藩の支藩広島新田藩は、
他の新田藩と同様に決まった領地を持たず、
宗藩による蔵米支給によって運営され、
藩主は江戸に定府していました。
ところが幕末の文久3年。
広島藩は不穏な長州藩への牽制の為、
新田藩主浅野長厚の帰国を命じ、
幕府の許可を得て陣屋を建設させ、
安芸吉田藩… 続きを読む
大森代官所より石見銀山町を歩きます。
「代官所界隈の町並み」。
とても風情のある雰囲気ですが、
それほど観光客は多くない。
穴場スポットかもしれませんね。
※訪問時はコールデンウィーク。
「熊谷家住宅」。
代官所の御用達、掛屋を営む熊谷家の屋敷。
現在は復元されて一般公開されています。
「青山家住宅(郷宿旧田儀屋)」。… 続きを読む
かつて世界の銀の1/3を産出した日本。
その最大の銀山が石見銀山(大森銀山)で、
当時の世界最大規模の銀山で、
平成19年にユネスコ世界遺産に登録され、
観光客で賑わいをみせています。
この銀山をめぐり大内家、小笠原家、
尼子家、そして毛利が互いに奪い合い、
豊臣家、… 続きを読む
肥中港は特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。
豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)
この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む
小倉新田藩は小倉藩2代藩主小笠原忠雄が、
弟小笠原真方に1万石が分与し立藩。
他の新田藩が江戸定府大名であるのと同じく、
参勤交代を行わない定府大名でした。
はじめは小倉城下の屋敷に藩庁が置かれ、
幕末期は宗家と行動を共にしていますが、
小倉城落城と共に藩庁を失います。
藩主の… 続きを読む
僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
子供の頃から何度か行っており、
あまりにも身近でしたので、
わざわざ記事にすることもなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、
ちょっと寄ってみました。
「小倉城天守」。
昭和34年に鉄筋コンクリートで、
模擬復興されたもの。
幕長戦争の小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、… 続きを読む