府内藩藩主家の親清流大給松平家は、
松平親清を初代とする系譜で、
親清は大給松平家祖松平乗元の次男。
その子松平近正が徳川家康の関東移封で、
5500石を与えられています。
近正は伏見城の戦いの際、
鳥居元忠らと共に討死しますが、… 続きを読む
大分県大分市 浄安寺/府内藩松平家墓所
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府内藩藩主家の親清流大給松平家は、
松平親清を初代とする系譜で、
親清は大給松平家祖松平乗元の次男。
その子松平近正が徳川家康の関東移封で、
5500石を与えられています。
近正は伏見城の戦いの際、
鳥居元忠らと共に討死しますが、… 続きを読む
孝顕寺は結城家15代結城政朝が創建し、
始めは永正寺を称していましたが、
結城家を継いだ徳川家康の次男結城秀康が、
現在地に移転させ孝顕寺と改称しています。
秀康が越前に転封となった際も、… 続きを読む
龍光寺は足利尊氏の開基とされ、
下野国における安国寺だったともされ、
当初の寺名は東勝寺であったという。
足利国朝が喜連川に入ってからは、
喜連川家の菩提寺として墓所も建てられ、
国朝の父足利頼純の法名より… 続きを読む
龍門寺は南北朝時代の当主岩城朝義により、
陸奥国磐城に開山した寺院。
岩城家が亀田に転封となった際に、
磐城龍門寺より住職を招き創建されました。
「龍門寺」。
龍門寺は岩城家菩提寺として庇護を受け、
広大な七堂伽藍が並んで隆盛しましたが、
江戸期に3度の火災に見舞られており、… 続きを読む
天徳寺は久保田藩主佐竹家の墓所。
室町時代の当主佐竹義人が夫人を弔う為、
常陸国久慈郡太田村に創建した寺院ですが、
佐竹家の秋田移封に伴い金照寺山に移転。
※金照寺山は当時楢山と呼ばれいましたが、
天徳寺が来てからは天徳寺山… 続きを読む