周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
「地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船… 続きを読む
山口県大島郡 小松浦
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周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
「地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船… 続きを読む
新湊は岩国領(岩国藩)の海の玄関だった港。
初代吉川広家により今津川河口が開発され、
物揚場が築造されたのに始まり、
後に10代吉川経礼が麻里布湊を開発。
これが新湊と呼ばれるようになります。
北前船… 続きを読む
美祢市伊佐町の小さな公園がある場所に、
幕末期に[友善塾]という郷校がありました。
吉田宰判の代官となっていた玉木文之進が、
※吉田松陰の叔父。
伊佐周辺に子弟が学べる機関が無かった為、
在住藩士らに郷校設立を勧奨。
これに応えた三戸久五郎、高木謙蔵、… 続きを読む