山縣有朋」タグアーカイブ

下関市吉田 常関寺(奇兵隊総督山内梅三郎墓所)

長州藩寄組山内家備後国国人でしたが、
毛利元就に帰属して尼子勢に対抗し、
その後の毛利輝元の代に家臣となりました。
毛利家の防長減封後もこれに従い、
厚狭郡吉田に4905石を与えられており、
以後は江戸時代続きを読む

下関市長府 功山寺(豊永長吉(印藤聿)墓所)

豊永長吉は幕末期の坂本龍馬との交友から、
印藤聿としての名の方が知られています。
本来は幕末を生き延びて明治に活躍した人物は、
明治以降に名乗った姓名で知られる訳ですが、
坂本龍馬ありきで語られる事が多い分、
幕末期の名前で呼ばれる事が多いようです。
※ここでも印藤聿に統一します。

彼の墓は功山寺墓地にあります。

豊永長吉墓」。
所狭しと並ぶ功山寺墓地において、… 続きを読む

下関市豊浦町湯玉 庄屋石川邸跡

湯玉浦北浦にある漁村のひとつですが、
鯖釣山が浦を守るように聳えていた為、
良港として漁民のみでなく北前船も寄港し、
旅館なども設置されて栄えていました。
吉田松陰の「廻浦紀略」では、
150戸で近頃2百余戸になったと書かれ、
繁栄の様子が感じられます。


湯玉港」。
現在も小型の漁船が停泊する港町で、… 続きを読む

東京都文京区 大本山護國寺

護國寺は5代将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願で、
碓氷八幡宮の別当大聖護国寺亮賢僧正を招き、
幕領高田薬園の地を与えて堂宇を建立。
天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
寺領三百石を賜ったことに始まります。

以後も将軍家の祈願寺続きを読む

奇兵隊の吉田転陣

下関市吉田には高杉晋作墓所の東行庵があり、
また奇兵隊陣屋跡もあります。
奇兵隊は結成以来各地に転陣していますが、
内訌戦で奇兵隊ら諸隊が勝利した後、
吉田に本陣を移すことになりました。
これには影響力を強める奇兵隊の発言力を、
中央から遠ざける為であったとされます。… 続きを読む