毛利敬親」タグアーカイブ

山口県山口市 亀山公園【再訪】

山口市の亀山公園には、
長州藩主毛利敬親の銅像があります。


毛利敬親公之像」。
以前も訪れたことがあるのですが(記事はこちら)、
綺麗に整備されたらしいので再訪してみました。
亀山公園は、亀山の山頂を平地にして広場にした公園で、
その広場の中央に毛利敬親の銅像が置かれています。

実はこの公園には、かつて敬親の銅像だけでなく、
長州藩の四支藩藩主の銅像が建てられていたようで、
広場を長州藩領に見立てて、… 続きを読む

天誅組以前の中山忠光⑤

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攘夷の魁たる長州藩が、
 外国製の軍艦や武器を買うとは何事か!
 そんなものは打ち壊してしまえ!
」。

中山忠光は、長州藩の軍備が洋式化することに激怒。
高性能の武器を揃える事は当たり前で、
言っている事は無茶苦茶なのですが、
藩の重臣達がどう説明しても納得しない。
とうとう藩主… 続きを読む

山口県山口市 野田神社と豊栄神社

幕末長州藩が明治維新に貢献出来た最大の理由は、
藩主が毛利敬親であったからだと思う。

同時期に活躍した雄藩には、賢候とされる藩主がいますが、
敬親は賢候と称されることはありません。
幕末の四賢侯と呼ばれる福井藩の松平春嶽、土佐藩の山内容堂
薩摩藩の島津斉彬、宇和島藩の伊達宗城を筆頭に、
肥前藩の… 続きを読む

長州藩主と英国艦隊提督の会見

慶応2年11月、木戸貫冶(桂小五郎)は鹿児島に向かう途中、
長崎に立ち寄ります。

英国東洋艦隊もたまたま長崎に寄港しており、
木戸は司令官のジョージ・キング提督と会見。
会見の際にキング提督は下関への寄港と、
長州藩主への拝謁を強く求めてきました。

木戸は鹿児島に行くので即答できないと答え、
鹿児島からの帰路、下関で藩政府に手紙を書き、
拝謁の可否を考えてくれるように促します。

藩政府はこれを英国との繋がりを作る好機と考え、
藩主毛利敬親に具申すると、敬親もこれを許可。
世子毛利元徳続きを読む

高杉晋作の命日

4月14日。高杉晋作の命日です。
僕は、今年も出張です。

4月14日は旧暦で、実際に晋作が亡くなったのは、
西暦1867年5月17日です。

この一年後の1868年5月17日には、
新撰組局長の近藤勇が斬首されています。

それから3年後の1871年5月17日には、
晋作の主君であった毛利敬親が亡くなっています。

意外な共通点ですね。

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