長崎県」カテゴリーアーカイブ

長崎県佐世保市 峰坂

平戸往還の最大の難所ともされる峰坂


峰坂」。
急勾配が延々と続く坂道で、
現在は舗装されていますが、
往時はどうだったのでしょう?
訪問時は炎天下で倒れそうになりました。

長崎市は坂の町として勇名ですが、
佐世保市も劣らず坂の町です。
この峰坂以外も殆どが急な坂で、
ここで暮らす人々の足腰は、
いったいどうなっているのでしょうか?
一説には自転車続きを読む

長崎県南松浦郡 五島平戸領境界跡

中通島の北に長く伸びた半島の1/3辺り、
仲知と呼ばれる場所が、
福江藩平戸藩の藩境であったという。
五島列島平戸島に程近く、
五島家松浦家の間で領地紛争が絶えず、
領主が度々代わっていたようです。


五島・平戸領境界(仲知)」。… 続きを読む

長崎県南松浦郡 柴田勝家公子孫の墓

本能寺の変後に羽柴秀吉と争い、
敗れて自害した柴田勝家
その四男(三男?)は出家して空性を名乗り、
平戸光明寺を開山していましたが、
勝家長男の子らは兄弟で空了を頼り、
柴田家滅亡後に平戸にやって来ました。
その兄は出家して了空を名乗り、
光明寺を再興しましたが、… 続きを読む

長崎県南松浦郡 大曽教会

青方湾は狭長な湾奥が良港で、
古くから栄えた中通島の中心地で、
江戸時代には代官所も置かれ、
非常に栄えた場所でした。
その青方湾の北端の大曽地区には、
外海から移住したキリシタンの子孫が、
代々暮らしていたという。


大曽教会」。… 続きを読む

長崎県南松浦郡 青砂ヶ浦天主堂

久しぶりに上五島へ行ったので、
少しだけ古い教会を巡ってみました。
これらは明治後期のものですが、
潜伏キリシタンは幕末に発見されており、
それに連なるという意味では、
無関係でも無いとも考えられます。

そして今回は青砂ヶ浦天主堂
長崎県を中心に多く教会建築を手がけ、… 続きを読む

長崎県南松浦郡 ブレ―ル神父墓所

鯛之浦教会の初代主任司祭ブレ―ル神父は、
外海出津教会を訪ねた後の帰路、
遭難して助けられた船の船員に、
金品を強奪されて殺害されています。
彼らの墓所が鯛ノ浦にあるという事で、
再度鯛ノ浦に行ってみました。

教会には訪問した事がありましたが、
その際は墓所の事は知らず、
旧教会堂ルルド等を記事にしています。… 続きを読む

長崎県南松浦郡 頭ヶ島天主堂

五島列島中通島に付属する頭ヶ島
江戸期は一応無人島だったようで、
伝染病を患ってしまった人が、
その療養地として住み着く以外、
人が寄り付く事はなかったという。

現在は上五島空港が整備されており、
上五島の玄関口となっていますが、
そもそも頭ヶ島は水と平地に乏しく、
縄文期に人の住んだ形跡はあるものの、
それ以降は集落が形成される事もなく、
放置された島であったようです。… 続きを読む