室津の本陣は肥後屋が務めていたようで、
三条実美ら五卿が宿泊したとされています。
「肥後屋跡」。
上関中央公民館の建物がある辺りが、
肥後屋があった場所。
海路で参勤交代を行った西国大名… 続きを読む
山口県熊毛郡 五卿の宿 肥後屋跡
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室津の本陣は肥後屋が務めていたようで、
三条実美ら五卿が宿泊したとされています。
「肥後屋跡」。
上関中央公民館の建物がある辺りが、
肥後屋があった場所。
海路で参勤交代を行った西国大名… 続きを読む
小方家墓所の近くには、
第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎の碑があります。
※小方家とは小方謙九郎の妻艶子の妹が、
剛十郎の妻という縁があった。
「楢崎剛十郎源義綱君碑(右)」、
「山縣有朋歌碑(左)」。
陸軍中尉三好重臣… 続きを読む
上関大橋の室津側の袂近くの墓地に、
室津の廻船問屋小方家の墓所があります。
「小方家墓所」。
小方家は古くから室津で商いを行い、
財を成していた商人の家。
墓地には先祖を祀る小方家合奠塔、
幕末の当主小方市右衛門の墓、
與小方市右衛門木刀銘碑、… 続きを読む
上関御茶屋跡の隣にある上関番所跡。
「旧上関番所」。
御茶屋跡の西側にある番所跡。
通行船の取締を行うと共に、
運上金の徴収事務を行った施設跡で、
その建物が現存しています。
番所は始めは四代に置かれていましたが、
上関海峡が通行の中心となった為に、… 続きを読む
享保年間中頃まで長州藩主の参勤交代は、
萩往還より三田尻に陸路に至った後、
海路で大坂まで進んで淀川を遡り、
伏見から陸路で進んでいました。
その海路の途中にあるのが上関海峡で、
その両岸(上関/室津)には往来する船が集まり、… 続きを読む
桂昌寺の阿武町惣郷にある曹洞宗寺院。
寺伝によれば惣郷村の知行主兒玉廣恒が、
父兒玉元恒の菩提を弔う為に創建し、
元恒の法号より桂昌寺としたという。
「桂昌寺」。
神宮山北麓の寺尾にあり、
寄組兒玉家の知行地惣郷を臨みます。
ここに兒玉家墓所かあるということで、… 続きを読む
織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、
大軍を率いて中国地方へ侵攻。
播磨、但馬、因幡を平定した後、
備前、備中にも進出した為、
毛利家は境目七城を防衛線とし、
※… 続きを読む