富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。… 続きを読む
「山口県その他」カテゴリーアーカイブ
山口県光市 正義霊社
光市立野にある正義霊社は、
清水家2代当主清水景治が、
熊毛郡立野を所領に与えられた際、
父の清水宗治の墓所備中高松城より、
神霊を観請して祀った事が始まり。
後に12代清水親知が合祀され、
二神の祀られる神社となっています。
「正義霊社… 続きを読む
山口県柳井市 赤禰武人墓所
柳井市阿月にある赤禰武人の墓所。
赤禰は3代目奇兵隊総督で、
俗論党政権下で隊の存続に尽力しますが、
平和裏にこれを進めた為に、
功山寺挙兵後は立場を失ってしまい出奔。
上方へ出ますが幕吏に捕縛され、
幕府によって利用される事となり、
大目付… 続きを読む
山口県柳井市 岩休寺跡/浦家墓所
岩休寺は阿月にあった曹洞宗の寺院で、
その創建は詳しくわかりませんが、
元々は心岳寺というお寺であったという。
寄組浦家が阿月を領する事となった際、
その菩提寺となって岩休寺に改称。
領主家の庇護を受けて隆盛しましたが、
明治維新後は庇護を失った事と、
檀家が少なかった事で廃寺となり、
本堂は令和3年まで現存していましたが、… 続きを読む
山口県熊毛郡 上関宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
上関宰判は慶安3年(1650年)設置され、
初め長島の四代に置かれましたが、
正保期(1644~1648)に上関… 続きを読む
山口県熊毛郡 富永有隣墓所
富永有隣は富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘で右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む
山口県光市 立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
同志約100名を率いて隊を脱走し、
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃。
同月13日には浅尾陣屋も襲撃しますが、
幕府の追討軍が派遣されると、
彼らは離散して長州藩領に逃亡しました。
多度津を経て… 続きを読む