所せましと墓石が居並ぶ谷中霊園において、
一際広い敷地を有する井上正鐵の墓所。
墓域は80坪もあるという。
「井上正鐵大人之墓(左)」、
「安東真鐵大人之墓(右)」。
井上正鐵は禊教の教祖とされており、
館林藩勘定方安東真鐵の子として生まれ、
母方の縁者井上家の養子となっています。
京都… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/井上正鐵墓所
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所せましと墓石が居並ぶ谷中霊園において、
一際広い敷地を有する井上正鐵の墓所。
墓域は80坪もあるという。
「井上正鐵大人之墓(左)」、
「安東真鐵大人之墓(右)」。
井上正鐵は禊教の教祖とされており、
館林藩勘定方安東真鐵の子として生まれ、
母方の縁者井上家の養子となっています。
京都… 続きを読む
村松藩11代藩主堀(奥田)直賀の墓。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
寛永寺墓地、天王寺墓地も含め、
谷中霊園として記事にしています。
村松藩堀家は元々は奥田姓でしたが、
戦国末期の当主奥田(堀)直政が、
従弟の堀秀政… 続きを読む
谷中霊園にある関宿藩久世家の墓所。
久世家は三河国の国人小野高広の子高長が、
母方の姓を称して久世高長を名乗った家で、
子久世長宣が三河一向一揆で松平家に背き、
宗門側に組して討死していますが、… 続きを読む
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の墓。
「故荘内藩大夫酒井君之墓」。
庄内藩第二大隊大隊長酒井玄蕃了恒の墓。
了恒は酒井吉之丞家当主酒井了明の長男で、
長沼流兵学指南の秋保政右衛門に学び、
剣術にも長けていたとされていますが、
漢詩を詠んで書を嗜んだ他、… 続きを読む
今治藩久松松平家初代松平定房は、
久松松平宗家初代松平定勝の五男で、
伊勢長島に7000石を領していましたが、
宗家が伊予松山藩へ転封となると、
同時に3万石に加増転封されており、
今治藩を立藩しました。
定房は後に更に1万石加増され、
今治藩は都合4万石となりますが、
3代松平定陳の家督相続の際、
弟松平定昌… 続きを読む
元新選組/御陵衛士 新井忠雄の墓。
「従六位勲五等新井一業
妻小静之墓」。
新井忠雄は磐城平藩の出身で、
元治元年頃に新選組に入隊したとされます。
大酒飲みの酒豪であったとされ、
隊では撃剣師範や監察… 続きを読む
赤十字運動の先駆者高松凌雲の墓。
「高松凌雲 配 久子 墓」。
高松凌雲とその妻久子の墓。
筑後国古飯村の庄屋の三男に生まれ、
久留米藩家老の家臣の養子となりますが、
養家に嫌気が差して出奔。
江戸で実兄古屋佐久左衛門… 続きを読む