圓妙寺墓地の松平定良墓所の隣に、
服部正辰の墓所があります。
正辰の父服部正就は慶長10年(1605)、
御目見えの前の外出を問われ改易。
舅の松平定勝に預けられて蟄居となり、
戦功を立てて赦免を請う為、
大坂夏の陣で高田藩の陣中に加わります。
しかし… 続きを読む
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三重県桑名市 顕本寺/吉村又右衛門家墓所
顕本寺に再訪して吉村家の墓所へ。
吉村家は桑名藩の家老家で、
福島正則に仕えた吉村宣充を祖とし、
福島家の改易で浪人となり、
後に松平定綱に召し抱えられました。
宣充は顕本寺に隣接する土地を購入し、
その土地を寺に寄付しており、
吉村家の菩提寺と定めています。
本家と分家の二家があったようで、… 続きを読む
三重県名張市 名張藤堂家邸跡
寛永12年(1635)に藤堂高吉は伊勢国に移り、
2代藩主藤堂高次の命により名張に移住。
高吉は筒井定次の家臣松倉豊後守や、
津藩の梅原勝右衛門が居館を構えた場所に、
御殿を建設してこれを居館とします。… 続きを読む
三重県名張市 徳蓮院/名張藤堂家墓所
徳連院は名張市平尾にある曹洞宗寺院。
鎌倉末期に名張の豪族堀江宗樹が建立し、
大蓮寺として同家菩提寺となっていました。
その後は荒廃していたようですが、
寛永13年(1636)に藤堂高吉が名張に入ると、
その菩提寺に定められて再建。
以後は名張藤堂家の墓所となっています。
「本堂… 続きを読む
三重県津市 浦上キリシタン収容所跡
慶応4年6月に浦上キリシタンら114名は、
萩、津和野、福山の三藩に配流。
翌明治2年12月には3000余名のキリシタンが、
21藩に分けられて流されました。
津藩でも浦上キリシタンを預かる事となり、
115名が津藩領に連行。
大和古町22名、上野58名、一志郡大村75名と、… 続きを読む
三重県三重郡 金剛寺/桑原家墓所
桑原家は元々織田家に仕えていた家で、
桑原武左衛門重成の頃に織田信雄に仕え、
後に土方雄久に2000石で仕官しました。
菰野藩の桑原家は本家の伝左衛門家と、
分家の西桑原家の二家が存在。
菰野藩の家老は桑原伝左衛門家か、
山本家… 続きを読む
岐阜県大垣市 北高木家墓所
北高木家は美濃衆高木家のひとつで、
宗家2代高木貞久の長男家にあたります。
しかし貞久長男の高木貞家が戦死してしまい、
その遺児高木貞俊が幼少であった為、
家督は貞久の弟高木貞利が相続しました。
後に高木家一族は徳川家康に仕え、
貞俊は… 続きを読む