久保田宿は長崎街道の間宿。
戦国時代に物資の取引が行われた場所で、
正式な宿場ではありませんが、
そのまま商業地として続いていたようです。
佐賀市久保田町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが久保田宿跡。
藩政時代は御親類村田家領でした。
「久保田宿跡」。
現在の国道207号が長崎街道で、
現在は道幅が広くなっていますが、… 続きを読む
「佐賀県」カテゴリーアーカイブ
佐賀県小城市 牛津宿跡
牛津宿は長崎街道の13番目の宿場。
米や物資が牛津川の水運で集められ、
水運業者、荷受問屋、卸問屋等が軒を連ね、
西の浪花と称された程栄えていたという。
小城市牛津周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが牛津宿跡。
西側より散策。
「野田家跡… 続きを読む
佐賀県多久市 東原庠舎跡/多久聖廟
多久家4代多久茂文は領内で教育を振興し、
椎原山山麓に郷校東原庠舎を開設。
後に孔子を祀る聖廟を創建されており、
これが多久聖廟として現存しています。
「孔子の里 多久聖廟」。
郷校東原庠舎の跡地が整備され、
孔子の里 … 続きを読む
佐賀県多久市 圓通寺/多久家墓所
圓通寺は鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領千石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
佐賀藩御親類同格… 続きを読む
佐賀県佐賀市 慶誾寺/多久家墓所
慶誾寺は本庄町鹿子にある曹洞宗の寺院。
元々は鍛冶屋村にあって流長院と称し、
慶長3年(1598)に慶誾尼によって、
現在地に移転しています。
慶誾尼はここに埋葬されており、
これに因んで慶誾寺と改称されました。
「慶誾寺」。
寺宝の白地金字金剛般若波羅密多経は、
山口県の… 続きを読む