JR上嘉川駅の北東側の山側に、
真田四郎という人物の墓があります。
どうしても世代的に真田四郎と聞くと、
宇宙戦艦ヤマトを思い出しますが、
こちらは真田士郎ですので、
そちらとは関係は全く無いでしょう。
この真田四郎という人物は、
窪田真吉という本名の土佐出身の志士で、
魚屋の行商の息子であったようです。
生まれつき恵まれた偉丈夫で、
岩ヶ嶽の四股名も持っていたという。
後に家業を継いで行商に励みつつ、… 続きを読む
「[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ
山口県山口市 徳佐宿跡
徳佐は長門国の最東端に位置する宿場町で、
阿武川上流の支流が盆地を形成し、
農業が盛んに行われていたという。
徳佐の地名は南北朝時代からの古いもので、
十種ヶ峰の南麗に位置する事から、
※十種神宝を埋めた伝説が残る山で、
[とくさがみね]と読みます。
標高が約300mと高冷地である為、
冬には… 続きを読む
山口県長門市 烈婦登波之墓
長門市の広域農道みのりロード脇の墓地に、
烈婦登波の墓があります。
妹の夫枯木龍之進に家族を殺され、
これを追って15年も仇を探し続け、
ようやく豊前で発見します。
そして奉行所に仇討ちを願いますが、
これに龍之進は進退尽きて自害。
仇を討ち取る事は出来ませんでしたが、
この一件を聞いた周布政之助… 続きを読む
山口県防府市 玉祖神社
玉祖神社は周防国一宮。
社伝によれば玉祖命が亡くなった際、
社殿を造営して祀った事に始まるという。
日本書紀には景行天皇の熊襲征伐で、
神夏磯媛の一族が神器を捧げ恭順を示し、
※三種の神器のひとつ八尺瓊勾玉… 続きを読む
山口県山口市 泰雲寺/小早川隆景墓所
泰雲寺は山口市小鯖にある曹洞宗の寺院。
応永10年(1404)に大内盛見が建立し、
※盛見は大内家11代当主。
始めは闢雲寺と称したという。
大内教弘の時代に現在地に移転し、
※教弘は大内家13代当主。
教弘の菩提寺となっています。
その後に大内家は滅びますが、
小早川隆景の菩提寺となっており、
死後にその分骨が納められました。
奥方の… 続きを読む
山口県萩市 唐人墓
享保11年(1726)8月7日。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が出現。
長州藩は交渉の末に密貿易船と判断し、
これに攻撃を加えて沈めています。
長州藩の異国船討ち払い
唐船の乗組員は全て殺されており、
その遺体は湾内の長浜に埋葬されました。
「須佐湾… 続きを読む
山口県山口市 山口客館跡
文久3年に長州藩は萩の指月城より、
山口政事堂(山口屋形)に藩庁を移鎮。
それに伴い対外的な応接所として、
慶応3年に山口客館が完成しています。
「山口地方裁判所(山口御客屋跡)」。
現在の山口客館の跡は裁判所の敷地。
敷地内に山口客館跡碑があり、… 続きを読む