泉涌寺の仏殿北側より坂を登り観音寺陵へ。
「觀音寺陵」。
86代後堀河天皇の円丘形状の御陵。
後鳥羽上皇の兄守貞親王の三男でしたが、
承久の乱により仲恭天皇が退位した為、
後堀河天皇として即位します。… 続きを読む
京都府京都市 泉涌寺/観音寺陵
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泉涌寺の仏殿北側より坂を登り観音寺陵へ。
「觀音寺陵」。
86代後堀河天皇の円丘形状の御陵。
後鳥羽上皇の兄守貞親王の三男でしたが、
承久の乱により仲恭天皇が退位した為、
後堀河天皇として即位します。… 続きを読む
泉涌寺は皇室菩提所として知られています。
平安時代創建の仙遊寺を僧俊芿が再興し、
境内から清水が湧いた為に泉涌寺と改称。
後鳥羽上皇、後高倉院などから勧進を受け、
堂塔伽藍が建立されました。
それ以来より皇室との縁深い寺院となり、
後に… 続きを読む
悲田院は貧しい人の救済の為の施設で、
奈良時代の興福寺に設置されたのが始まり。
後の平安京にも東西2ヶ所に置かれますが、
双方とも廃れて消滅してしまいました。
鎌倉時代後期に無人如導が悲田院を再興し、
室町期に後花園天皇の… 続きを読む
丹南藩藩主の墓所が栄摂院にあるという。
栄摂院は金戒光明寺の塔頭のひとつで、
金戒光明寺御影堂の北側にあります。
「栄摂院」。
栄摂院は木俣守勝により創建された寺院で、
※守勝は楠木正成… 続きを読む
天台宗の寺院真正極楽寺の真如堂墓地には、
元海援隊士石田英吉の墓があります。
※真如堂は真正極楽寺の通称。
実はgoogleMAPで石田英吉墓を見つけ、
その墓地がどこの寺院のものかわからず、
今回は直接墓所だけの訪問です。
「従二位勲一等男爵石田英吉之墓」。
土佐中山村の村医伊吹泰次… 続きを読む
金戒光明寺周辺の巨大な墓地を通り、
塔頭である西雲院へ。
「西雲院」。
朝鮮出兵の際に連れてこられた青年宗厳は、
滝川雄利の娘の使用人として働きますが、
娘は17歳の若さで病死してしまいます。
人生の無常を感じた宗厳は黒谷で出家。
諸国を巡る修行に出た後に黒谷に戻り、
金戒光明寺第27世… 続きを読む
黒谷墓地にある赤松小三郎の墓。
「赤松小三郎墓」。
赤松は上田藩藩士芦田勘兵衛の次男で、
江戸で内田弥太郎や下曽根信敦に学び、
長崎海軍伝習所で… 続きを読む