「上から読んでも山本山
下から読んでも山本山・・」。
子供の頃にTV観た山本山のCMのフレーズ。
何故だか未だに覚えていたりします。
この山本山とは全く関係ないのですが、
琵琶湖北東湖畔に標高325mの山があり、
その山の名が山本山。
尾根は賤ケ岳へと続いており、
琵琶湖と余呉湖を隔てています。
平安時代の末期には、… 続きを読む
滋賀県長浜市 朝日山陣屋跡
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「上から読んでも山本山
下から読んでも山本山・・」。
子供の頃にTV観た山本山のCMのフレーズ。
何故だか未だに覚えていたりします。
この山本山とは全く関係ないのですが、
琵琶湖北東湖畔に標高325mの山があり、
その山の名が山本山。
尾根は賤ケ岳へと続いており、
琵琶湖と余呉湖を隔てています。
平安時代の末期には、… 続きを読む
加賀藩は百万石の大藩として、
諸大名のトップに君臨しましたが、
幕末維新の政局で目立った活躍は無く、
維新の大波に乗り遅れた感があります。
しかし何もしなかったという訳ではなく、
加賀藩でも尊皇攘夷派はおりましたし、
13代前田慶寧も尊攘派であったようで、
長州藩と近く八月十八日の政変以降は、
長州藩の心情を代弁する建白… 続きを読む
琵琶湖湖畔の宮川に陣屋を構えた宮川藩は、
譜代大名堀田宗家の治める藩。
堀田家は佐倉藩11万石がありますが、
この佐倉藩堀田家の方が庶流で、
宮川藩堀田家1万3000石が堀田宗家でした。
元々堀田宗家の初代堀田正盛は、
佐倉藩12万石を領していましたが、
次代堀田正信… 続きを読む
山上は近江国と伊賀国を結ぶ要所で、
江戸中期まで譜代安藤家の領地でした。
元禄8年に安藤家が転封となった後、
旗本稲垣重定が加増されて諸侯に列し、
所領が常陸から近江に移封され、
山上に藩庁を置いて山上藩が立藩。
重定は奉行制度を確立させて、
藩政の基礎を作ります。
譜代である山上稲垣家は、… 続きを読む
近江守護六角家の家臣蒲生定秀は、
従兄弟の蒲生秀紀から家督を奪い、
その居城音羽城を廃して日野城を築城。
これを居城としましたが、
六角家は織田信長の侵攻を受け、
蒲生賢秀の代に六角家は滅亡します。
その後も賢秀は日野城に籠城して抵抗し、… 続きを読む