文久2年9月1日。
京都滞在中の武市半平太の宿舎へ、
中山家の家臣が面会に来た。
土佐藩の他藩応接掛である武市は、
攘夷派公卿の… 続きを読む
天誅組以前の中山忠光②
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家老が切腹するケースは多くあったようで、
長州藩でも三家老が切腹していますし、
他藩も政局に負けた派閥の家老が、
切腹させられた例も数多い。
しかし藩主が切腹となる事は殆ど無い。
武士は主君への忠誠が存在理由であり、… 続きを読む
奇兵隊出身の軍人といえば、
軍監であった元帥陸軍大将の山縣有朋ですが、
中将として4人を輩出しています。
※鳥尾小弥太、三浦梧楼、三好重臣、滋野清彦。
彼らは長州藩士で農民や町民出身ではなかったため、
明治2年の諸隊再編… 続きを読む
元治元年8月27日、
長州藩は四国連合艦隊との講和会議後、
アーネスト・サトウを下関に招待し、
西洋風料理で接待していますが、
この料理をサトウは良い評価を出していません。
あくまで「西洋風」というだけで、
ちゃんとしたものではなかったでしょう。
実はこれより1年前の文久3年、
長崎で本格的西洋料理店が開店しています。
長崎の農家の倅であった… 続きを読む