元治元年8月27日、
長州藩は四国連合艦隊との講和会議後、
アーネスト・サトウを下関に招待し、
西洋風料理で接待していますが、
サトウはこの料理を良い評価をしていません。
あくまで[西洋風]というだけで、
ちゃんとしたものではなかったでしょう。
実はこれより1年前の文久3年に、
長崎で本格的西洋料理店が開店しています。
長崎の農家の倅であった… 続きを読む
元治元年8月27日、
長州藩は四国連合艦隊との講和会議後、
アーネスト・サトウを下関に招待し、
西洋風料理で接待していますが、
サトウはこの料理を良い評価をしていません。
あくまで[西洋風]というだけで、
ちゃんとしたものではなかったでしょう。
実はこれより1年前の文久3年に、
長崎で本格的西洋料理店が開店しています。
長崎の農家の倅であった… 続きを読む
誘惑に弱い人というのは結構いるもので、
現在でも酒、女、ギャンブル等にハマって、
首が回らなくなるロクデナシはいるもの。
奇兵隊出身の商人山城屋和助は、
たぶんそういう人物でした。
山城屋和助(野村三千三… 続きを読む
功山寺の長門尊攘堂や万骨塔を建立して、
幕末志士達の顕彰事業を行った桂弥一。
特に万骨塔は全国から石を集めてきて、
一箇所に集めた壮大なものです。
「萬骨塔」。
長州系の志士だけではなく、
土佐、薩摩、水戸などの名も見られます。
そんな桂弥一ですが自身の墓所は?
色々と探してみましたが、
どこにあるのかわからない。
功山寺に葬られた… 続きを読む
幕末は遠い昔。
明治16~20年の事を鹿鳴館時代という。
欧米諸国に文明国であるとアピールする為、
政府は鹿鳴館という洋館を建てて、
迎賓や舞踏会を行った時代がありました。
洋館を造って舞踏会して文明国ですよって、
なんとも浅はかとも思えますが、
鹿鳴館政策を推進したのは井上馨でした。
散って逝った志士達がこの鹿鳴館を
草葉の陰でどう思ったのでしょうか?
高杉晋作が生きていたなら・・。… 続きを読む