護國寺にある三条実美の墓所。
「内大臣正一位大勲位三条公之墓」。
二つの鳥居の先にある三条実美の墓。
権中納言、攘夷勅使、国事御用掛等を務め、
尊皇攘夷派公家の中心的存在でしたが、
八月十八日の政変で失脚して長州に下り、… 続きを読む
東京都文京区 護國寺/三条実美墓所
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護國寺にある三条実美の墓所。
「内大臣正一位大勲位三条公之墓」。
二つの鳥居の先にある三条実美の墓。
権中納言、攘夷勅使、国事御用掛等を務め、
尊皇攘夷派公家の中心的存在でしたが、
八月十八日の政変で失脚して長州に下り、… 続きを読む
第一次長州征伐の降伏条件は、
三家老四参謀処罰、藩主父子の謝罪文提出、
五卿の藩外移居、山口城の取壊などでした。
そのうちの五卿の藩外移居では、
受け入れ先が福岡藩領の大宰府と決まり、
五卿達は宰府延寿王院に移動します。
大宰府での生活は… 続きを読む
山口市赤妻町の赤妻神社という謎の神社。
googleMAPにもカーナビにも記載が無く、
ネット上の記載住所の殆どが間違っており、
手掛かりは長州史系ブログの訪問記事のみ。
※2020/11/22時点でgoogleMAPの記載確認。
赤妻神社は錦小路神社とも呼ばれますが、
どっちが正式な名前なのかわかりません。
※錦小路神社が正式らしいのですが、
毛利家文庫では赤妻神社となっている。
安加都麻神社とも呼ばれるらしい。
錦小路頼徳と… 続きを読む
下関と彦島の間にある細い海峡を、
小門または小瀬戸と言います。
[小門の夜焚]という舟遊びで知られた地で、
松明を焚いた小舟を浮かべて、
その明かりに集まった魚を網で捕らえ、
舟上で料理して食べていたとのこと。
[日本外史]の著者でもある儒学者頼山陽や、
晋作が愛した南画家田能村竹田も、
[小門の夜焚]で遊んだとされています。… 続きを読む