吉田松陰」タグアーカイブ

山口県萩市 育英館跡

須佐の郷校である育英館は、
益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。

益田家33当主益田親施は、
吉田松陰から山鹿流兵学を学んでおり、
その縁で松下村塾との交流があったようで、
双方で… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊③/ハリスの小路と松陰上陸の碑

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初代駐日弁理公使タウンゼント・ハリスが、
下田赴任中に散歩したとして、
ハリスの小路と名付けられた道があります。
通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊②/松陰の密航計画

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嘉永7年(1854)3月28日。
吉田松陰と同郷の足軽金子重輔は、
下田ペリー艦隊への密航を計画。
黒船に乗り込んで密航を談判しました。… 続きを読む

福岡県久留米市 遍照院/高山彦九郎墓所

高山彦九郎は江戸後期の勤皇思想家。
京都三条大橋東詰の土下座像が有名です。
※正確には皇居望拝
高山は孝明天皇の2代前の光格天皇の時代、
尊号一件と呼ばれる事件において、
朝廷幕府続きを読む

下関市彦島 竹の子島

彦島に竹の子島という小さな島があります。


吉田松陰の海防視察日記[廻浦紀略]では、
松陰がここに上陸して視察を行っており、
南風泊から小船で竹の子島に渡り、
壱之台弐之台六之台を巡視しました。


松陰は小船で渡りましたが、
現在は橋が架けられていますので、
車でそのまま上陸する事が出来ます。
※下関駅から直通のバスもあります。続きを読む

下関市彦島 福浦金刀比羅宮

吉田松陰の視察日記[廻浦紀略]によると、
松陰は嘉永2年7月16日、
引島(彦島)福浦の金毘羅山に登っています。
この金毘羅山に灯籠堂があったそうで、
福浦に来る船の目印とされていたという。
金毘羅山は金刀比羅宮建立後の名前で、
富観台とも呼ばれていますし、
それまでは頭兜山続きを読む

下関市伊崎町 伊崎厳島神社

下関市伊崎町に伊崎厳島神社と、
鈴ヶ森稲荷神社という2つの神社が、
小瀬戸(小門)を望む高台にあります。

源平合戦の際にを追われた平家一門が、
西へ逃げる際に安芸の厳島神社から、
厳島大明神を分霊して持ってきていました。
そして壇ノ浦の戦いで平家が惨敗した為、… 続きを読む