桂宮家は天正17年(1589)に創設された宮家で、
豊臣秀吉の猶子であった智仁親王が、
※正親町天皇の第一皇子誠仁親王の第六皇子。
秀吉に実子が出来た為に別家を創設。
邸宅は現在の桂宮邸跡にありましたが、
別邸が… 続きを読む
京都府京都市 桂宮邸跡
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桂宮家は天正17年(1589)に創設された宮家で、
豊臣秀吉の猶子であった智仁親王が、
※正親町天皇の第一皇子誠仁親王の第六皇子。
秀吉に実子が出来た為に別家を創設。
邸宅は現在の桂宮邸跡にありましたが、
別邸が… 続きを読む
青山霊園にある富小路家の墓所。
富小路家は半家に属した公家の家柄で、
和歌や俳諧を家業としていたという。
「富小路家之墓」。
22代当主富小路敬直以降の一族の墓。
7代当主… 続きを読む
青山霊園にある橋本家の墓所。
橋本家は羽林家に属した公家で、
清華家の西園寺家の庶流にあたります。
「橋本家之墓(中央)」、
「橋本家先祖代々諸霊(左)」。
17代当主橋本実麗以降の一族の墓と、… 続きを読む
和宮親子内親王は仁孝天皇の第8皇女で、
母は羽林家橋本家当主橋本実久の娘経子。
経子は仁孝天皇の寵愛を受け、
皇子胤宮を出産しますが夭折し、
和宮の出産は仁孝天皇の崩御後でした。
橋本家は清華家西園寺家… 続きを読む
磨針峠は鳥居本宿と番場宿の間にある峠。
峠名はある青年僧が学半ばで道を諦め、
京からの帰郷の途中でこの峠を通り、
老婆が斧を研いで針を作る光景に出会い、
自らの怠惰に気付いて京に戻り、
修行に励んで高僧になったとされ、
この伝説に因んでいます。
一説には弘法大師空海がこの高僧とされ、
後にこの磨針峠を訪れた際には、
摺針神明宮に栃餅… 続きを読む
川崎宿は東海道の2番目の宿場町。
宿場の設置当初は住民農民の負担が多く、
問屋場の経営もままならなかったという。
これに名主で本陣も務めた田中休愚は、
六郷の渡しを宿で請け負う許可を取り付け、
住民や近隣の農民の負担を大幅に減らし、
宿の復興と繁栄を齎す基礎を築きました。
川崎駅東口周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
「歌川広重 … 続きを読む
板橋宿は中山道の最初の宿場町で、
江戸四宿のひとつとして栄え、
※他の三宿は東海道の品川宿、
甲州街道の内藤新宿、日光街道の千住宿。
旅人の宿泊の他に… 続きを読む