相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、
臨済宗の京都五山第二位の大寺院。
「総門」。
相国寺通りを北上した場所にある惣門。
天明8年(1788)の天命の大火で消失し、
これは寛政9年(1797)に再建されたもの。
相国寺はこの大火で多くの堂宇を焼失。
現存する建物はの多くは、… 続きを読む
京都府京都市 相国寺
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相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、
臨済宗の京都五山第二位の大寺院。
「総門」。
相国寺通りを北上した場所にある惣門。
天明8年(1788)の天命の大火で消失し、
これは寛政9年(1797)に再建されたもの。
相国寺はこの大火で多くの堂宇を焼失。
現存する建物はの多くは、… 続きを読む
文久2年9月。
薩摩藩は相国寺より二本松の地を借り受け、
京都御所に程近いこの場所に、
新たな薩摩藩邸を造営しています。
「薩摩藩邸跡」碑。
同志社大学今出川キャンバス門前にある碑。
藩邸は5805坪(19000㎡)あったとされ、
現在の今出川キャンバスの約2/3にあたり、
9棟の建物と土蔵が建ち並んでいたとのこと。… 続きを読む
大黒寺は伏見区鷹匠町にある真言宗寺院。
島津義弘が祈祷所としたことで、
薩摩の守り本尊[出世大黒天]にちなみ、
大黒寺と称したようですが、
元々は長福寺という寺名だったようです。
「大黒寺」。
薩摩藩にゆかり深い寺であった為、
一般では薩摩寺… 続きを読む
南洲墓地にある大山綱良の墓。
「大山綱良墓」。
初代鹿児島県令大山綱良の墓。
城下士樺山善助の次男に生まれますが、
後に大山四郎助の婿養子となりました。
精忠組に加入して勤皇を唱えますが、
寺田屋事件では鎮撫使… 続きを読む
南洲墓地にある坂元申太郎の墓。
「坂本清緝墓」。
一番大隊四番小隊長坂元申太郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士坂元廉四郎の子で、
戊辰戦争で薩摩藩十二番隊に属し、
奥羽… 続きを読む
南洲墓地にある森岡長左衛門の墓。
「森岡昌武墓」。
一番大隊七番小隊長森岡長左衛門の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
戊辰戦争に出征して功を挙げ、
鹿児島常備隊の小隊長を務めた後、
明治4年に近衛陸軍大尉… 続きを読む
南洲墓地にある中島健彦の墓。
「中島廣厚墓」。
二番大隊二番小隊長中島健彦の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士中島喜左衛門の長男に生まれ、
戊辰戦争に監軍として出征。
明治2年に… 続きを読む