常光院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺24世温仲宗純により創建され、
豊臣秀吉正室高台院の兄木下家定が帰依し、
自らの菩提寺として庇護されたようで、
寺名は家定の法名[常光院殿]に由来します。
「… 続きを読む
京都府京都市 常光院/木下家定墓所
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常光院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺24世温仲宗純により創建され、
豊臣秀吉正室高台院の兄木下家定が帰依し、
自らの菩提寺として庇護されたようで、
寺名は家定の法名[常光院殿]に由来します。
「… 続きを読む
俊龍寺の本堂裏にある柳澤家歴代墓所。
長州藩寄組柳澤家の初代当主柳沢元政は、
12代将軍足利義晴、13代足利義輝、
15代足利義昭に仕えた足利幕府の幕臣で、
義昭が織田信長に追放されると、
これに追従して… 続きを読む
俊龍寺は大内家家臣弘中氏の菩提寺で、
献珠院や延楽寺と呼ばれたようですが、
大内氏滅亡後に荒廃していたという。
その後に毛利家家臣柳澤元政が再興し、
毛利輝元の命で足利将軍らや、… 続きを読む
青山霊園にある日出藩木下家の墓所。
「従五位木下俊敦墓(右)」、
「豊臣子爵木下家之墓(左)」。
日出藩13代藩主木下俊敦の墓と、
木下家の累代墓。
俊敦は11代木下俊懋の四男に生まれ、
兄で12代藩主木下俊良の死去により、… 続きを読む
北政所は豊臣秀吉の菩提を弔うため、
東山に高台寺を創建しています。
現在臨済宗ですが創建時は曹洞宗でした。
建立には徳川家康が多額の援助をしており、
普請掛として堀直政が任じられます。
「庫裏」。
拝観順路入口に位置する… 続きを読む
豊臣秀吉の正室北政所の兄木下家定は、
関ヶ原の戦いで中立を保ち、
足守に2万5000石を与えられました。
家定の死去の後、
幕府は遺領を長男と次男で分ける様に指示。
しかし長男木下勝俊が遺領を独占した為に、
次男木下利房が不服として幕府に訴え、
勝俊は… 続きを読む