飯盛山で自刃した白虎隊の生き残り飯沼貞吉。
燃える城下を落城と勘違いして、
少年達は次々と自刃し、
貞吉も咽喉に脇差を突き立てたが死ねず、
それを会津藩士の妻が見つけて介抱し、
貞吉は一命を取り留めます。
後に貞吉は電信技士となって各地に赴任し、
電信電話の発展に貢献しました。
この飯沼貞吉が会津戦争終結後、
敵であった… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
山口県山口市 玄済寺/福原広俊墓所
玄済寺にある福原広俊の墓。
※吉敷毛利家の記事と分けました。
「家老 十三代福原広俊公」。
福原家13代当主福原広俊の墓。
吉敷毛利家が知行地替えで吉敷に入る前は、
吉敷周辺は福原家… 続きを読む
幕末会津史について
僕の先祖はよくわかりません。
祖父祖母が元気で生きている間に、
色々と聞いていれば良かったと悔やまれます。
なんでも父方は柳河藩の出のようで、
明治以降は長崎で材木屋をやっていたとか。
末子の祖父は三菱の造船所に入社した為、
下関に住むようになったのですが、
宗家は原爆によって全滅してしまったとか。
父はあまり祖先に興味がなかったらしく、
祖父の話を真剣に聞いていなかったようで、
そんな事を言ってたなぁ・・程度です。
母方は寺本生死之介の末裔とのことですが、
家系図があるわけでもありませんし、
実在が疑問視されている人物ですので、… 続きを読む
山口県防府市 富海宿と船蔵
富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道の宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。
青でぼかした辺りが富海宿跡。
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む
山口県山陽小野田市 青木周蔵誕生地
山陽小野田市に青木周蔵誕生地があります。
青木周蔵は蘭学医青木研蔵の婿養子となり、
維新後は外務省に入って外交に尽力し、
条約改正に成功した外務大臣ですが、
エリザベートとのロマンスの方が知られます。
青木研蔵の娘テル… 続きを読む
広島県三次市 高杉城跡
司馬馬遼太郎は世に棲む日日において、
「高杉晋作のルーツは、
備後国三谿郡の「高杉城」である」
としています。
事実、高杉家が藩に提出している文書も、
初代高杉小四郎春時の生国を、
備後国三谿郡高杉邑としており、
父は武田某となっておます。
これとは別に「高杉城」の城主は祝… 続きを読む
山口県山口市 洞春寺/井上馨墓所
維新を生き抜いた志士達は政府に出仕し、
殆どが東京に在住していた為、
その墓所は東京という例が多い。
長州藩出身者は地元に墓が無い場合が多く、
木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、
野村靖、品川弥二郎、桂太郎、山尾庸三、… 続きを読む