高杉晋作」タグアーカイブ

下関市上新地町 桜山神社(色々聞いてみた)

久々に桜山神社へ行きました。
今年やっと前原一誠が合祀されたらしい。

前原は松下村塾生奇兵隊にも参加し、
功山寺挙兵にも単騎で参加。
小倉戦争では参謀心得として、
総督である晋作の右腕となり、
晋作が退いた後は後任の参謀続きを読む

高杉晋作が生存!?

生存説があることは英雄の条件のひとつ。
源義経織田信長明智光秀などなど・・
西郷隆盛にも生存説がありますね。
悲劇の最期を迎えたこれらの英雄達は、
庶民の生きていて欲しいという願望から、
生き延びて大陸に渡った
という類の話が出来上がります。

上記の英雄達は亡骸が不明だったりして、
生きている可能性あるパターンですが、… 続きを読む

広島県三次市 高杉城跡

司馬馬遼太郎世に棲む日日において、
高杉晋作のルーツは、
 備後国三谿郡の「高杉城」である
としています。

事実、高杉家が藩に提出している文書も、
初代高杉小四郎春時の生国を、
備後国三谿郡高杉邑としており、
父は武田某となっておます。

これとは別に「高杉城」の城主は続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑧/井上馨の演説5

井上の演説はもう少し続きます。
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この和議の時、最も困難なる問題は償金一
件であったが、高杉君は、長州が攘夷をした
のは、決して一己の意見でしたことではな続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑦/井上馨の演説4

まだまだまだ井上の演説は続きます。
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かように下関は遂に開戦となったものであ
るから、前田も帰り、私もその跡を追うて山
口へ帰りまして、両君公に拝謁して、馬関は続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑥/井上馨の演説3

井上の演説はまだまだ続きます。
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それから英仏米蘭の四ヶ国の艦隊が、下関
へ来襲することの報知が山口に達したもので
あるから、急に私は山口に呼び返された。続きを読む