久保田藩」タグアーカイブ

秋田県横手市 横手城跡

久保田藩は出羽半国に広大な領地を持ち、
また大きな落ち度もなく常陸一国から、
出羽半国に減転封となっていた手前、
幕府は藩庁の久保田城の他に、
一国一城令の例外として、
横手城大館城の維持を許可。
3つの城を持つ事になりました。

横手城は久保田藩の支城で、
家老の戸村十太夫家が代々… 続きを読む

秋田県由利本荘市 山田合戦の跡

庄内藩三崎峠新政府軍と戦いますが、
密かに別動隊に鳥海山を越えさせて、
新政府軍側の矢島陣屋を攻略します。
交代寄合生駒家の陣屋。
 戦後の高直しで矢島藩を立藩。


明治元年8月5日。
この報を聞いた… 続きを読む

秋田県大館市 矢立峠

矢立峠久保田藩弘前藩の国境ので、
羽州街道の難所でもありましたが、
弘前藩主も参勤交代の際に通過します。


現在の矢立峠は遊歩道となっています。
道の駅やたて峠に車を停めて遊歩道へ。
前日の雨で湿度が高く蒸し暑かったです。


伊能忠敬 測量隊 続きを読む

秋田県大館市 釈迦内宿跡

釈迦内宿羽州街道の57番目の宿場町。
宝暦9年(1759)の文献では戸数110軒で、
うち6軒が宿屋であったようです。


釈迦内宿跡」。
かつては水はけの悪い土地だったようで、
その維持に苦労していたようです。
鎌倉幕府5代執権北条時頼は、
諸国巡回途中の津軽で愛妾唐糸を亡くし、… 続きを読む

秋田県大館市 白沢宿跡

白沢宿羽州街道の58番目の宿場町。
矢立峠の南側に位置しており、
この峠を越える前の旅人が英気を養い、
峠を越えた旅人が疲れを癒した宿場でした。


大館市白沢周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


白沢宿跡」。
白沢宿跡は閑静な住宅街となっており、
建物も殆ど更新されて遺構は少ない。
前回記事の山内儀兵衛宅跡にある碑が、
かつて宿場だった事を伝えています。
秋田県大館市 続きを読む

秋田県由利本荘市 亀田城跡

鎌倉幕府地頭であった岩城家は、
豊臣政権磐城平12万石でしたが、
後に当主岩城貞隆会津征伐に参加せず、
これを理由に兄の蘆名盛重や、
弟の多賀谷宣家続きを読む

秋田県秋田市 平田篤胤墓所

当たり前ですが幕末の動乱というのは、
教科書のように黒船がやって来て、
尊皇攘夷運動が起こり、
討幕運動を経て大政奉還となり、
戊辰戦争を経て明治維新が成ったという、
至って単純なものではありません。

色々な要素が合わさって科学反応続きを読む