蛤御門は京都御所の外郭九門の一つで、
正式名称は[新在家御門]といいます。
蛤御門は通称で御所外郭の火災の際、
通常閉じられていた門が開かれた為、
炙ると開く蛤になぞらえて呼ばれた俗称。
都人の洒落で名付けられたわけです。
ここは禁門の変の戦端が切られた場所で、
禁門の変は別名蛤御門の変… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
京都府京都市 東福寺
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、
鎌倉時代の摂政九条道家により建立され、
宗より帰国した円爾が開山した大寺院。
火災や兵火で幾度も伽羅を焼失しますが、
その度に復興されており、
今もなお25の塔頭を持つ大寺院で、
国宝を含む多くの文化財を有しています。
鳥羽伏見の戦いでは… 続きを読む
下関市唐戸周辺 赤間関宿跡
赤間関宿は山陽道(西国街道)の終点。
本州の西端に位置しており、
九州への玄関口にもなっています。
宿場の顔以外にも北前船の寄港地でもあり、
上方と北国を繋ぐ中継地点であった為、
大変な賑わいであったという。
「御国廻御行程記 赤間関」。
宿場は阿弥陀寺… 続きを読む
福島県白河市 稲荷山公園
稲荷山は白河戦争(白河口の戦い)の激戦地。
奥羽越列藩同盟軍は稲荷山に兵力を集中し、
新政府軍を迎え撃ちます。
しかしここを攻撃する新政府軍は囮で、
二手に分かれた別動隊が、
側面から白河小峰城を攻撃。
瞬く間に落城して稲荷山は包囲され、
同盟軍は敗走して惨敗となりました。
「稲荷山公園」。
稲荷山は史跡公園として整備されています。
山頂から新政府軍が布陣した… 続きを読む
下関市吉田 吉田宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。
吉田は山陽道と赤間関街道が交差し、
藩直轄地の最西に位置していた為、
役所として吉田宰判勘場… 続きを読む
下関市清末 高林寺/清末藩毛利家墓所(再訪)
清末藩毛利家の菩提寺高林寺に再訪。
「山門」。
天和2年(1682)の創建当時のまま残る山門。
安政2年に火災が起こっており、
本堂など他の建造物は焼失しています。
5年前は娘と訪問しましたが、
今回は息子と2人でやってきました。
本堂左側より毛利家墓所へ。
「清末毛利家墓所」。… 続きを読む
山口県山口市 大村益次郎墓所(再訪)
鋳銭司の大村益次郎墓所を訪れたのは6年前。
近くまで来たので久々に行ってみました。
明治2年9月3日。
大村益次郎は京都三条木屋町の旅館で、
長州藩大隊指令静間彦太郎や、
加賀藩藩士安達幸之助らと会食。
夕刻に男が訪ねて来て面会を申し込み、
取り次ぎに萩原秋蔵… 続きを読む