築地反射炉は佐賀藩が設置した反射炉で、
海防の必要性が高まっていた時勢に、
鉄製大砲を鋳造する為に築造されたもの。
嘉永3年に日本初の実用炉として完成し、
翌年に初めて鉄製大砲が鋳造されています。
佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)は、
西洋の科学技術の導入を積極的に行い、… 続きを読む
佐賀県佐賀市 築地反射炉跡
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築地反射炉は佐賀藩が設置した反射炉で、
海防の必要性が高まっていた時勢に、
鉄製大砲を鋳造する為に築造されたもの。
嘉永3年に日本初の実用炉として完成し、
翌年に初めて鉄製大砲が鋳造されています。
佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)は、
西洋の科学技術の導入を積極的に行い、… 続きを読む
與止日女神社は肥前国一宮。
欽明天皇25年(564?)の創建とされ、
古くから水神として信仰されました。
「三の鳥居」。
肥前鳥居形式の三の鳥居。
肥前鳥居は笠木と島木が一体化し、
木鼻が流線形に伸びているのが特徴で、
佐賀市周辺に見られる独特な鳥居です。
「… 続きを読む
島義勇は佐賀七賢人のひとりで、
北海道開拓の父とも称される人物。
佐賀士族を見下す岩村高俊に激怒し、
江藤新平と共に佐賀の乱を起し、
これに敗れて処刑されています。
「来迎寺」。
鎌倉幕府5代執権北条時頼… 続きを読む
唐津宿は唐津城城下にあった宿場で、
唐津街道の終点でした。
松浦川西側周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが唐津宿跡。
東側より散策。
「船宮橋」。
松浦川を渡って東へ街道を進むと船宮橋。
この橋を渡った辺りから城下に入ります。
「水主町」。… 続きを読む
小笠原藩大久保家の歴代墓所は、
京都の本禅寺及び小田原の大久寺、
世田谷の教学院にありますが、
2代当主である大久保忠職の墓碑が、
かつて領した唐津にあるらしいので、… 続きを読む