富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。… 続きを読む
山口県光市 正義霊社
光市立野にある正義霊社は、
清水家2代当主清水景治が、
熊毛郡立野を所領に与えられた際、
父の清水宗治の墓所備中高松城より、
神霊を観請して祀った事が始まり。
後に12代清水親知が合祀され、
二神の祀られる神社となっています。
「正義霊社… 続きを読む
東京都中野区 今川家墓所
櫛羅藩永井家や吉良家と同じ墓地に、
今川家の墓所もあります。
戦国時代に東海一の弓取りと謳われ、
東海道に広大な領土を持った今川義元は、
上洛を目指す途上で織田信長に討たれ、
これにより今川家は衰退していますが、
跡を継いだ今川氏真… 続きを読む
東京都中野区 吉良家墓所
PCの整理をした際に写真を発見したので、
かなり前ものですが記事にしました。
忠臣蔵の敵役である吉良上野介義央の墓所。
同地には櫛羅藩永井家の墓所もありますが、
東京都中野区 櫛羅(大和新庄)藩永井家墓所
同じ理由で寺名は伏せています。
「吉良家墓所」。
三河吉良家14代吉良義定、15代吉良義弥… 続きを読む
山口県山口市 益田景祥墓所
タイトルを益田景祥墓所としましたが、
墓所を見つける事が出来ませんでしたので、
タイトル詐欺のようになっています。
僅かなネットの情報によると、
下地図の青丸で囲んだ辺りのあるようです。
山口市仁保下郷周辺。
青丸辺りに景祥の墓があるという。
景祥は須佐益田家20代益田元祥の二男で、
はじめ筑後の豪族宗像氏… 続きを読む
山口県山口市 朝倉八幡宮
朝倉八幡宮は貞観元年(859)創建とされ、
詳しい経緯はわかりませんが、
宇佐八幡宮より勧請されたようです。
大内家14代大内政弘の頃(室町後期)に、
今八幡宮と合併したようですが、
江戸中期の享保10年(1725)に再興し、
現在地に社殿が建立されました。
「朝倉八幡宮」。
上記したように今八幡宮と合併され、
後に分かれて再興した珍しい神社。
本来は合併されると同一のものとなり、… 続きを読む
山口県山口市 龍福寺/天花爆発遭難者墓所
慶応3年3月17日。
天花に置かれた長州藩の火薬庫が爆発し、
作業に従事した16人が爆死しました。
朝四ッ半時(午前11頃)に爆発して炎上し、
九ッ時(正午頃)に鎮火したという。
施設は水車等を含め全て焼失したようです。
その犠牲者16人の墓が、
龍福寺の墓地に現存しています。
「山門」。
龍福寺は建永年間(1206‐1207)の創建で、… 続きを読む