東禅寺は盛岡藩南部家の墓所のひとつ。
南部家27代にして初代盛岡藩主南部利直の墓があり、
その他4人の藩主の墓所でもあります。
「東禅寺」。
山号は大宝山。
無盡妙什和尚開山の寺で13代南部守行が戦死した際、
妙什和尚が焼香師… 続きを読む
岩手県盛岡市 東禅寺(盛岡藩南部家墓所)
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東禅寺は盛岡藩南部家の墓所のひとつ。
南部家27代にして初代盛岡藩主南部利直の墓があり、
その他4人の藩主の墓所でもあります。
「東禅寺」。
山号は大宝山。
無盡妙什和尚開山の寺で13代南部守行が戦死した際、
妙什和尚が焼香師… 続きを読む
盛岡城は盛岡藩南部宗家20万石の居城。
南部家は鎌倉時代の武将南部三郎光行を祖とする名門で、
宗家の三戸南部家は南北朝時代より陸奥で勢力を伸ばし、
室町~戦国時代には陸奥北部最大の勢力となっていました。
天下の気勢が豊臣秀吉に傾き小田原征伐… 続きを読む
祥雲寺は一関藩主田村家の菩提寺。
元々は岩沼藩時代に田村宗良が開創した大慈寺で、
一関に転封された際に、移転して名称も変更されました。
一関市街周辺(祥雲寺の場所)。
「祥雲寺本堂」。
本堂は明治期に焼失し、再建されたものです。
寺名は初代藩主田村建顕の祖母… 続きを読む
一関藩は、元々伊達正宗の十男伊達宗勝が、
仙台藩より3万石を分地されて大名になったのが始まり。
幕府との繋がりが強かった宗勝は、
放蕩三昧の仙台藩主伊達綱宗を強制隠居させ、
幼い仙台藩主伊達綱村の後見人として、
宗藩である仙台藩を牛耳っていましたが、
伊達騒動により重臣同志の刃傷事件にまで発展。
この責任で宗勝は処罰されて土佐預かりとなり、
一関藩は改易となっています。
その後、同じく仙台藩の支藩であった岩沼藩田村家が、
一関に領地替えとなり、再び一関藩が立藩しました。… 続きを読む