奇兵隊」タグアーカイブ

下関市吉田 吉田宰判勘場跡

長州藩では直轄地を宰判という行政区分に分け、
それぞれに代官を置いて地方行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、土木工事や治安維持、裁判などが行われています。
吉田山陽道赤間関街道が交差する要所で、
藩直轄地の最西に位置していた為に宰判勘場が設置され、
美祢郡南西部と… 続きを読む

下関市吉田 常関寺(奇兵隊総督山内梅三郎墓所)

長州藩寄組山内家備後国国人でしたが、
毛利元就に帰属して尼子勢に対抗し、
その後の毛利輝元の代に家臣となりました。
毛利家の防長減封後もこれに従い、
厚狭郡吉田に4905石を与えられており、
以後は江戸時代続きを読む

下関市豊浦町湯玉 庄屋石川邸跡

湯玉浦北浦にある漁村のひとつですが、
鯖釣山が浦を守るように聳えていた為、
良港として漁民のみでなく北前船も寄港し、
旅館なども設置されて栄えていました。
吉田松陰の「廻浦紀略」では、
戸は150戸で、近頃2百余戸になったと書かれ、
繁栄の様子が感じられます。


湯玉港」。
現在も小型の漁船が停泊する港町で、… 続きを読む

下関市阿弥陀寺町 赤間神宮

初詣で赤間神宮へ。
考えたら赤間神宮の単体の記事って無かったので、
今回記事にしてみました。

赤間神宮は阿弥陀寺という寺院が前身とされますが、
その創建には諸説があり、壇之浦の戦いの翌年とも、
6年後ともされています。
とにかく朝廷の命で安徳天皇の御堂が建立され、
安徳天皇の母建礼門院の乳母の娘がとなり開山。… 続きを読む

奇兵隊の吉田転陣

下関市吉田には、高杉晋作の墓所である東行庵があり、
また奇兵隊陣屋跡もあります。

結成以来各地に転陣していますが、
内訌戦で奇兵隊ら諸隊が勝利した後、
長州藩領の西端である吉田に本陣を移すことになりました。
これには大きくなりすぎて影響力を強める奇兵隊の発言力を、
弱める為であったとされます。… 続きを読む