康順寺は真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。
「本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家… 続きを読む
愛知県碧南市 康順寺/本田忠鵬墓所
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康順寺は真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。
「本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家… 続きを読む
膳所藩本多家の支流西端本多家は、
膳所藩初代本多康俊の次男本多忠相の系譜。
大坂夏の陣の軍功で1000石を与えられ、
その後も加増を重ね8000石となり、
次代の本多忠将も千石を加増。
その後は9000石で幕末まで続き、
10代領主であった本多忠寛が、
天狗党… 続きを読む
御油宿は東海道五十三次の35番目の宿場。
次の宿場である赤坂宿までは、
僅か2km程度の距離でした。
江戸時代には尻尾の短い猫の事を、
赤坂-御油間の距離の短さに例えて、
御油猫と呼んでいたという。
豊川市御油町周辺。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが御油宿跡。
緑のぼかしは… 続きを読む
赤坂は三河国天領の中心地であった為、
赤坂代官所陣屋が設置され、
中泉代官所の出張代官所となりました。
「赤坂陣屋跡(三河県役所跡)」。
赤坂休憩所 よまらいかんの向かい。
この説明板奥に陣屋があったようですが、
※現… 続きを読む
赤坂宿は東海道の36番目の宿場。
御油宿や吉田宿と共に飯盛女を多く抱え、
活気のある宿場町だったという。
豊川市赤坂町。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが赤坂宿跡。
「赤坂休憩所 よらまいかん」。
街道散策の客や市民の無料休憩所。… 続きを読む
岡崎藩本多平八郎宗家の歴代墓所は、
かつての所領であった姫路の圓教寺や、
浅草にあった誓願寺などにあり、
所領の岡崎にはありませんが、
4代本多忠考の墓のみ源空寺にあります。
「源空寺」。… 続きを読む
妙源寺は真宗高田派の寺院で、
松平家に尊敬されていたらしく、
三河一向一揆で松平(徳川)家康が逃げ込み、
難を逃れたとされます。
「山門」。
薬医門形式の山門。
倒壊防止の支えが付けられていますが、… 続きを読む