吉田宿は東海道の34番目の宿場で、
三河吉田藩の所領であったようです。
吉田城も近く城下町と宿場町が混在し、
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒と、
巨大な宿場であったという。
「歌川広重 東海道五十三次之内 吉田」。… 続きを読む
愛知県豊橋市 吉田宿跡
コメントを残す
吉田宿は東海道の34番目の宿場で、
三河吉田藩の所領であったようです。
吉田城も近く城下町と宿場町が混在し、
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒と、
巨大な宿場であったという。
「歌川広重 東海道五十三次之内 吉田」。… 続きを読む
三河吉田藩の藩校時習館は、
儒者三浦竹渓の助言を受けて、
初代藩主松平信復によって設立。
儒学や漢学を学問の基本とし、
[素読][会読][講釈… 続きを読む
吉田城は戦国時代初期に牧野古白が、
今橋城を築いたことに始まり、
松平家、戸田家、牧野家、今川家等が、
激しい攻防が繰り返した城でした。
やがて城名は吉田城に改められ、
東三河における最重要戦略拠点となり、… 続きを読む
大垣藩初代戸田氏鉄の次男戸田氏経は、
渥美半島先端の畠村一帯5ヶ村を与えられ、
6200石の大身旗本となります。
その次々代当主であった戸田氏成は、
兄の戸田氏定に蔵米… 続きを読む
池ノ原公園は渡辺崋山の終焉の地で、
晩年を過ごした場所。
現在は史跡公園となっています。
崋山は蛮社の獄で国許蟄居を命じられ、
ここあった池ノ原屋敷に移住しました。
「池ノ原公園」。
池ノ原屋敷周辺は公園化されており、
和室と茶室を備えた施設や、
散策路が整備されています。… 続きを読む
渡辺崋山は田原藩藩士渡辺定通の長男で、
8歳で藩主嫡男亀吉や、
三男元吉の伽役となっており、
藩主三宅康友に目を掛けられていました。
しかし渡辺家は養子の父が相続した為、
扶持を減らされ生活は困窮。… 続きを読む
田原城は戸田宗光により室町後期に築城。
三河湾支配の拠点となった城でしたが、
戸田康光の代に今川義元に攻められ落城し、
康光は嫡男戸田尭光と共に討死しています。
田原城は桶狭間の戦い後に、
松平元康(徳川家康)によって攻略され、… 続きを読む