大乗寺に興膳昌蔵の墓があったようですが、
墓石は何者かに割られてしまい、
別の場所にあるという事を聞きました。
※記事はこちら。
墓石があるのは大乗寺の飛地で、
無縁仏のお墓を集めた場所。
「大乗苑」と名付けられた場所で、
300基位の墓石が集められています。
場所は国道2号線を越えた… 続きを読む
長府にある大乗寺は嘗て浄厳寺と呼ばれ、
明治になって大乗寺に改称されました。
ここに興膳昌蔵の墓があるという。
「大乗寺山門」。
長府商店街の北端。
隣は一字庵菊舎の墓のある徳応寺。
「本堂… 続きを読む
江戸時代は現在とは違った価値観で、
賞賛される事柄が違っていました。
現代は人の役に立つ事をした人や、
人の命を助けた人らを賞賛しますが、
昔は忠義の賞賛が多かったようです。
忠臣蔵なんてその典型。
現代でも縁起が良い夢として、
「一富士、二鷹、三なすび」と云いますが、
実はこれは有名な仇討ちにちなんだもの。
①「曾我兄弟の仇討」=… 続きを読む
日本最後の仇討ちのお話。
秋月藩士臼井亘理は秋月藩兵と共に、
鳥羽伏見の戦いに従軍。
戦いが終わり情勢が沈着した5月に、
故郷の秋月に帰郷します。
京都の状況を藩主に伝えたのち、
自宅にて客を招いて酒宴を行ないました。
その夜、何者かが臼井家に押し入り、
亘理と妻を殺害。
3歳の娘も傷を負ってしまいます。
臼井六郎は幼く乳母と添い寝をしていた為、
この惨劇の難を逃れていました。
下手人は藩内尊攘派の干城隊士の、
仕業であることが判明。
臼井亘理は京都から帰郷後、… 続きを読む