仇討ち」タグアーカイブ

下関市長府 大乗寺/興膳昌蔵の墓を探す

大乗寺興膳昌蔵の墓があったようですが、
墓石は何者かに割られてしまい、
別の場所にあるという事を聞きました。
※記事はこちら

墓石があるのは大乗寺の飛地で、
無縁仏のお墓を集めた場所。
大乗苑」と名付けられた場所で、
300基位の墓石が集められています。
場所は国道2号線を越えた… 続きを読む

柘榴坂の仇討

久々にレンタルビデオ屋に行きました。
今回借りたのは「柘榴坂の仇討」。

浅田次郎の短編小説を原作とする時代劇。
五郎治殿御始末」に収録されています。
※五郎治殿御始末の記事はこちら
全編維新(御一新)に翻弄された武士の話で、
この「柘榴坂の仇討」はその中で、
あまり印象の無い作品。
内容はすっかり忘れてました。

彦根藩下級武士… 続きを読む

烈婦登波と吉田松陰

江戸時代は現在とは違った価値観で、
賞賛される事柄が違っていました。
現代は人の役に立つ事をした人や、
人の命を助けた人らを賞賛しますが、
昔は忠義の賞賛が多かったようです。
忠臣蔵なんてその典型。
現代でも縁起が良い夢として、
「一富士、二鷹、三なすび」と云いますが、
実はこれは有名な仇討ちにちなんだもの。


①「曾我兄弟の仇討」=… 続きを読む

最後の仇討ち

日本最後の仇討ちのお話。

秋月藩士臼井亘理は秋月藩兵と共に、
鳥羽伏見の戦いに従軍。
戦いが終わり情勢が沈着した5月に、
故郷の秋月に帰郷します。
京都の状況を藩主に伝えたのち、
自宅にて客を招いて酒宴を行ないました。

その夜、何者かが臼井家に押し入り、
亘理と妻を殺害。
3歳の娘も傷を負ってしまいます。
臼井六郎は幼く乳母と添い寝をしていた為、
この惨劇の難を逃れていました。

下手人は藩内尊攘派の干城隊士の、
仕業であることが判明。
臼井亘理は京都から帰郷後、… 続きを読む