妙傳寺は北門前町にある日蓮宗本山寺院。
文明9年(1477)に円教院日意により、
一条尻切屋町に建立されました。
天文5年(1536)の法華一揆で全山が灰燼し、
天文10年(1541)に四条西洞院で再興。
天正19年(1591)には豊臣秀吉の命により、
寺町夷川に再移転しています。
宝永5年(1708)の宝永大火で再び灰燼。
その後に現在地に再興されました。… 続きを読む
京都府京都市 妙傳寺/四条隆謌墓所
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妙傳寺は北門前町にある日蓮宗本山寺院。
文明9年(1477)に円教院日意により、
一条尻切屋町に建立されました。
天文5年(1536)の法華一揆で全山が灰燼し、
天文10年(1541)に四条西洞院で再興。
天正19年(1591)には豊臣秀吉の命により、
寺町夷川に再移転しています。
宝永5年(1708)の宝永大火で再び灰燼。
その後に現在地に再興されました。… 続きを読む
廬山寺には慶光天皇の廬山寺陵の他にも、
鎔宮墓(仁孝帝皇子)と、
壽萬宮墓(孝明帝皇女)が宮内庁管轄地ですが、
その他にも多くの皇族の墓があります。
「廬山寺墓地」。
墓地の北側には江戸期の皇族の墓が並び、
他にも… 続きを読む
清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
和宮親子内親王は仁孝天皇の第8皇女で、
母は羽林家橋本家当主橋本実久の娘経子。
経子は仁孝天皇の寵愛を受け、
皇子胤宮を出産しますが夭折し、
和宮の出産は仁孝天皇の崩御後でした。
橋本家は清華家西園寺家… 続きを読む
中山家は羽林家の家格を持つ公卿家。
平安末期の内大臣中山忠親を祖とし、
晩年に忠親が洛東中山に居住した為、
中山家を称すようになったとされます。
初代こそ内大臣まで昇進していますが、
以後の子孫は権大納言止まりとなり、
家格としては羽林家に列しました。
13代… 続きを読む
二条家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条家の庶流にあたる公家で、
九条道家の次男二条良実を祖とします。
良実が東二条院に居住した事から、
二条を称したとされており、
仁治3年(1242)に良実が関白となって以降、
五摂家のひとつとして続きました。
戦国時代の当主13代… 続きを読む
九條家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条流嫡流である公家で、
藤原忠通の六男九条兼実を祖とします。
五摂家筆頭の近衛家に次ぐ家格を有し、
その庶流である一条家、二条家も、
九条流の五摂家となっています。
「… 続きを読む