①/②
つづき。
「興隆院殿悟渓道本大居士」。
中津藩3代藩主(7代当主)奥平昌鹿の墓。
2代藩主奥平昌敦の長男として生まれ、
父の死去に伴い15歳で家督を相続。
訴平賦均録を編纂して藩政改革に尽くし、
蘭学者前野良沢を抜擢して、
蘭学を保護して奨励しました。
「… 続きを読む
東京都品川区 清光院/中津藩奥平家墓所②
コメントを残す
東海寺には宮川藩堀田家の墓所もあります。
「東海寺」。
京都の大徳寺の住職沢庵宗彭は、
紫衣事件で出羽国に流罪となって、
上山藩に預けられていました。
寛永9年(1632)に大御所… 続きを読む
東海寺は北品川にある臨済宗の寺院。
3代将軍徳川家光によって創建され、
沢庵宗彭を招聘して開山されました。
元禄7年(1694)の品川宿の火災で延焼し、
諸堂は全焼していますが、
5代将軍徳川綱吉によって再建され、
幕府による保護を受けて隆盛。… 続きを読む
養玉院の前身は平安時代創建の三藐院で、
江戸城の築城に際して上野に移転し、
寛永寺山内に寺地を拝領して三明院と改称。
後に対馬府中藩宗家の菩提寺となり、
2代宗義成の正室福姫の院号から、… 続きを読む
如来寺は木食但唱らが造った五智如来像を、
芝高輪に安置して開かれた寺院で、
一丈(約3.3m)の如来像が五躯並ぶ姿は、
江戸の人々から芝大仏と親しまれました。
二度の火災で五智如来像は焼失しますが、
その都度再建されたようで、
江戸の名所として賑わっていたという。
後の明治41年に西大井に移転し、
大正15年に養玉院… 続きを読む
本行寺に上田藩藤井松平家の墓所があります。
「本行寺」。
宗祖日蓮入滅の寺として知られる寺院。
「松平家之墓」。
山門入って右手の墓地にあります。
上田藩藤井松平家は譜代十四松平の一つで、
藤井松平家支流の松平忠晴… 続きを読む