本荘藩藩主六郷家の国許菩提寺は永泉寺。
六郷家は元々仙北郡六郷村の豪族で、
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、
所領の4500石を安堵されています。
関ケ原の戦いの戦功で1万石に加増され、
更に2万石加増となって由利郡本荘に入封。
菩提寺である永泉寺を移転させました。… 続きを読む
「藩主家墓所」タグアーカイブ
愛知県犬山市 臨渓院/成瀬家墓所
臨渓院は臨済宗の古刹瑞泉寺の塔頭で、
文明14年(1482)に創建されたという。
瑞泉寺には24院の塔頭があったとされ、
臨渓院もそのひとつでしたが、
織田信長の犬山城攻めの際に焼失し、
後に成瀬家2代当主成瀬正虎によって再建。
以後は成瀬家の… 続きを読む
香川県丸亀市 玄要寺/京極家墓所
玄要寺は丸亀藩京極家の菩提寺で、
京極家の領地移転に伴って同じく移転し、
初代京極高和が丸亀に入封すると、
それに伴い現在地に移転しました。
但し京極家墓所は滋賀の徳源院のままで、
藩主は所領が変わっても徳源院に葬られ、
玄要寺は幕末期の藩主京極高朗の墓のみ。
支藩多度津藩京極家の墓所もあります。
※江戸の墓所は港区の… 続きを読む
愛媛県今治市 今治藩松平家墓所
今治藩久松松平家は松平定房の系譜で、
松平定勝の五男であった定房は、
伊勢国長島に7000石を領していましたが、
兄の松平定行が伊予松山藩に転封された際、
同時に今治藩3万石に加増転封となり、
以降は廃藩置県まで今治を治めました。
定房は隠居後は今治で過ごしていましたが、
延宝4年(1676)に死去し、… 続きを読む
愛媛県松山市 大林寺/松山藩松平家墓所
徳川家康の異母弟松平定勝は、
桑名藩11万石を与えられ、
定勝系久松松平家の祖となりましたが、
寛永元年(1624)に死去して、
次男松平定行が跡を継ぎました。
2代将軍徳川秀忠は定勝の菩提を弔う為に、
定行に菩提寺の造営を命じ、
桑名領内に崇源院が建てられています。
※現在の桑名市の… 続きを読む
大分県大分市 浄安寺/府内藩松平家墓所
府内藩藩主家の親清流大給松平家は、
松平親清を初代とする系譜で、
親清は大給松平家祖松平乗元の次男。
その子松平近正が徳川家康の関東移封で、
5500石を与えられています。
近正は伏見城の戦いの際、
鳥居元忠らと共に討死しますが、… 続きを読む
茨城県結城市 孝顕寺/水野勝知墓所
孝顕寺は結城家15代結城政朝が創建し、
始めは永正寺を称していましたが、
結城家を継いだ徳川家康の次男結城秀康が、
現在地に移転させ孝顕寺と改称しています。
秀康が越前に転封となった際も、… 続きを読む