松前城の北側は非常時の外衛的役割の為、
寺を集中的に配置した寺町となっています。
江戸時代初期より周辺の寺が移設され、
当時は15の寺がありました。
しかし松前城攻防戦における戦火により、
その殆どが焼失してしまい、
後に移転した寺も数多く、
現在は5つの寺が残るのみとなっています。
「寺町」。
当時の寺町の道路は現在の半分ほどで、
あとの半分は堀であったという。
「法幢寺… 続きを読む
北海道松前郡 法幢寺/松前藩松前家墓所
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松前城の北側は非常時の外衛的役割の為、
寺を集中的に配置した寺町となっています。
江戸時代初期より周辺の寺が移設され、
当時は15の寺がありました。
しかし松前城攻防戦における戦火により、
その殆どが焼失してしまい、
後に移転した寺も数多く、
現在は5つの寺が残るのみとなっています。
「寺町」。
当時の寺町の道路は現在の半分ほどで、
あとの半分は堀であったという。
「法幢寺… 続きを読む
岡藩初代藩主中川秀成は、
稲葉川対岸に御茶屋を建設しますが、
その完成を待たずに死去してしまいます。
跡を継いだ2代藩主中川久盛は、
建設中の御茶屋を菩提寺へと改め、
碧雲寺を建立しました。
以後、久盛以後の歴代藩主の墓所となり、
碧雲寺は岡藩の庇護を受けて繁栄します。
「… 続きを読む