享保11年(1726)8月7日。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が出現。
長州藩は交渉の末に密貿易船と判断し、
これに攻撃を加えて沈めています。
長州藩の異国船討ち払い
唐船の乗組員は全て殺されており、
その遺体は湾内の長浜に埋葬されました。
「須佐湾… 続きを読む
山口県萩市 唐人墓
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享保11年(1726)8月7日。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が出現。
長州藩は交渉の末に密貿易船と判断し、
これに攻撃を加えて沈めています。
長州藩の異国船討ち払い
唐船の乗組員は全て殺されており、
その遺体は湾内の長浜に埋葬されました。
「須佐湾… 続きを読む
文久3年に長州藩は萩の指月城より、
山口政事堂(山口屋形)に藩庁を移鎮。
それに伴い対外的な応接所として、
慶応3年に山口客館が完成しています。
「山口地方裁判所(山口御客屋跡)」。
現在の山口客館の跡は裁判所の敷地。
敷地内に山口客館跡碑があり、… 続きを読む
山口の発展は周防国守護職の大内弘世が、
居館を大内村から移した事に始まり、
急速に発展したとされています。
弘世は街並みを京都に似せて造り、
小京都や西の京と称されました。
やがて弘世は長門国も掌握し、… 続きを読む
西国街道の周防国/長門国の国境は、
割木松にある峠にありました。
江戸時代は令制国としての国境よりも、
藩境の方が重要ではありましたが、
地理区分として継続して用いられており、
重要な要素であったようです。
「周防長門… 続きを読む
青山霊園にある三浦家の墓所。
「三浦玄仲夫妻之墓(右)」、
「三浦泰輔 室東喜 墓(左)」。
医師三浦玄仲と妻の友子の墓と、
実業家の三浦泰輔と妻… 続きを読む
東海寺の大山墓地は現在の寺域より遠く、
新幹線と京浜東北線の線路の挟まれた場所。
かつての東海寺境内の広さが窺えますが、
そこに日本鉄道の父井上勝の墓があります。
「沢庵和尚の墓」。
東海寺の初代住職沢庵宗彭の墓。
大山墓地にあります。
沢庵は… 続きを読む
伊藤博文は明治42年に暗殺され、
国葬の後に彼の別邸があった事から、
西大井に葬られる事となっています。
「大勲位伊藤博文公墓所」。
JR西大井駅から南西方向に行くとあります。
通常は非公開のようですが、
毎年秋に数日公開されるとのこと。
その期間を狙っての訪問はできませんので、
非公開とは知りつつも訪問致しました。
仕方ないので隙間から墓を撮影。
「従一位大勲位伊藤博文公墓… 続きを読む