小倉藩と福岡藩の藩境の境川。
その唐津街道沿いに架かる橋が宮川橋です。
「宮川橋」。
福岡藩側から撮影。
両藩の国境ながら番所の存在は不明。
境川は洪水の度に流れが変化し、
境界争い… 続きを読む
山口県柳井市 赤禰武人墓所
柳井市阿月にある赤禰武人の墓所。
赤禰は3代目奇兵隊総督で、
俗論党政権下で隊の存続に尽力しますが、
平和裏にこれを進めた為に、
功山寺挙兵後は立場を失ってしまい出奔。
上方へ出ますが幕吏に捕縛され、
幕府によって利用される事となり、
大目付… 続きを読む
山口県柳井市 岩休寺跡/浦家墓所
岩休寺は阿月にあった曹洞宗の寺院で、
その創建は詳しくわかりませんが、
元々は心岳寺というお寺であったという。
寄組浦家が阿月を領する事となった際、
その菩提寺となって岩休寺に改称。
領主家の庇護を受けて隆盛しましたが、
明治維新後は庇護を失った事と、
檀家が少なかった事で廃寺となり、
本堂は令和3年まで現存していましたが、… 続きを読む
山口県熊毛郡 上関宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
上関宰判は慶安3年(1650年)設置され、
初め長島の四代に置かれましたが、
正保期(1644~1648)に上関… 続きを読む
山口県熊毛郡 富永有隣墓所
富永有隣は富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘で右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む
山口県光市 立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
同志約100名を率いて隊を脱走し、
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃。
同月13日には浅尾陣屋も襲撃しますが、
幕府の追討軍が派遣されると、
彼らは離散して長州藩領に逃亡しました。
多度津を経て… 続きを読む
山口県周南市 常安寺/粟屋家墓所
常安寺は周南市大河内の曹洞宗寺院。
大河内領主粟屋家の開基とされますが、
詳しい縁起はわかりません。
「常安寺」。
山奥にありながら立派なお寺で、
綺麗で広い墓地から檀家も多い様子。
虎ヶ岳(標高141m)の登山口でもあり、
多くの人々が訪れるようです。
粟屋家墓所は本堂裏手。
「粟屋家墓所… 続きを読む